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第29話 駄犬、狂犬となる(1)
吐き出したせいでメンタルが戻ったのか、それから一ヶ月が瞬く間に過ぎた。
関わっていたプロジェクトも一段落し、課長に報告すると、「二人ともよくやったな」と労われた。
「これで俺も顔が立った。伊緒、腐らずによくカバーしてくれた。ご苦労だった」
そんな言葉までもらえるとは思っていなくて、驚いた顔をしたのかもしれない。課長が、「そんな鳩が豆鉄砲食らったような顔されても困るぞ。お前がまっすぐ努力したことは、皆の認めるところだ」と、何だか高校生の部活動のようなことを言われ、課の同僚たちにまで、どっと笑われたのが木曜日。
集団強姦の件を告白して以来、斑目は借りてきた猫のように大人しくなった。幻滅されたのだとしても、もう仕方がないな、と伊緒は思うようになっていた。
あの夜、斑目はしたたかに酔った伊緒を家まで送り届けると、何もせずに帰っていった。翌朝、目覚めて、身体に不調がないことに驚きとともに拍子抜けしたのを覚えていた。一度寝ただけで、ここまで心を許すのは初めてのことだったが、誰かの心変わりを体験するのは、初めてのことではなかった。
斑目へのこの気持ちが、恋だと気づいてしまっていたから、余計に動くことができなくなっていた。季節はクリスマスを迎えようとしているのに、伊緒は飢えた身体を抱えて、ただ目の前の仕事を淡々と片付けていくよりほかになかった。
*
その日は半分、浮かれた気分で仕事を片付けて、久しぶりにひとりで飲みにいくと、あのログハウス風のミックスバーでの顔ぶれも、少し変わっていて、驚いた。
「どうしてた?」
しばらくこなかったけど、と問われ、伊緒はここ数ヶ月を思い出し、苦笑した。
「忙しくしてた」
「何の答えにもなってないじゃない」
マスターはそう言って笑い、伊緒に水割りを一杯だけクリスマスイヴのサービスだということで、ご馳走してくれた。
今年はとんだ年だったが、いい方向に流れていっている気がする、と伊緒は黙って思った。相変わらず男ばかりの酒の席は苦手で、飲み会はほとんど全部断っていたが、こうしてひとりで飲むのは嫌いじゃない。斑目にはフラれたが、もう童貞漁りを続ける気分にもなれなかったし、いたずらに人を傷つけずに生きていけそうだというだけでも、確かな収穫のような気がしていた。
最初の一杯を飲み終わって、さてどうするかな、と考えていると、後ろから「失礼」と声をかけられた。伊緒が振り返ると、中肉中背の男がひとり、伊緒のすぐ隣りに腰掛けた。
「すみません、俺、今日は……」
誰かに口説かれる気分ではないのだと、男を振り仰いだ刹那。伊緒の中で何かがひしゃげる音がして、既視感に血が逆流しはじめた。
「久しぶりだな」
刹那、嫌な想い出が形を伴い、伊緒に襲いかかってきた。
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