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第32話 狂犬、王子を救う(1)

 駅の改札までくると、やっと伊緒は斑目の手首を離した。  何か言わなければと思ったが、何を話したらいいのか、見当がつかない。そもそも、どうしてあの場に斑目がいたのかも、知らないことに気づいた。 「斑目、お前、どうしてあんなところに……」  弾んだ息を整えながら、伊緒が尋ねると、斑目はバツの悪そうな顔をした。やがて耳の垂れた犬のしょげた雰囲気を醸し出しながら、口を開く。 「あなたのことが、諦めきれなくて」  そこで言葉を切り、両手をぎゅっと握りしめた。 「会社を出たら、声をかけようと思ってたんですけど……、今日こそは、今日こそは、って、毎日思いながら、遅くなってしまってすみません、でも、俺……」  タイミングが掴めなくて、と次第に小さくなっていく声で言い訳を並べはじめたので、伊緒にはピンときた。 「尾行したのか?」 「結果的には……」  しゅん、と犬みたいな反省の仕方をする。こいつの愛嬌は無駄に仕事をするな、と思った伊緒だったが、それほど斑目の行動に怒りや不快感を感じていないことに気づいた。 「まあ、おかげで助かったけど……」 「本当、ですか?」 「ああ。助かったことは事実だ」  あのままいけば、伊緒はあの男に殴りかかっていただろう。結果的にそれを止めてくれた斑目に、借りができたなと伊緒は思う。 「店に入ったら、先輩がナンパされてるのに遭遇して、ちょっと会話が聞こえてきたんです。それで俺、頭にきて……」 「でも殴るのはやり過ぎだ。本当に暴行罪で捕まったらどうするつもりだったんだ」 「手は出してません」 「え? でも」 「足踏んづけて、頭突きしただけです」 「いやそれもまずいだろ」  こいつはとんだ狂犬だ、と思った伊緒が突っ込むと、斑目は狂気を宿していた眸を潤ませて、反省した。 「すみません……怒ってますか?」  犬だった。完全に叱られた犬。 「怒っちゃいない。でも、もう俺のために手を汚すなよ。一歩間違えれば社会生命が絶たれるぞ」  一番肝心なところを言い聞かせておかないと、斑目は何度でも同じことをやらかしそうだった。 「あの男、希先輩にめちゃくちゃしつこくしてた。知り合いなんですか? もしかしてあれで童貞とか?」 「待て。違う。助かったって言ったろ。あいつは……」  斑目の狂犬ぶりを目の当たりにして、馬鹿な上に見境がなくて、複雑怪奇に歪んでいる一面に気づいた伊緒は、嘘をついて隠しても、詮索されるだけだと思い、迷った末に本当のことをかいつまんで打ち明けた。

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