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第20話
その日、フワを迎えに来た人がいた。
フワの母親だった。
フワの母親は華やか美人で、夜の街によく映えた。
フワの母親を見たのはその時がはじめてだった。
昔、女優だったのたとフワは少し自慢気に語っていた。
美しい人だった。
少しやつれてはいても。
その頃の俺じゃわからなかったけれど、フワの母親はホステスとして売れっ子であるにはもう難しい40代だったらしい。
フワとは長く別れて暮らしていたが、フワを育ててくらた祖母、母親の母親が亡くなって、仕方なしにフワを引き取った。
これも全部後に聞いた話だ。
でも。
彼女は少なくともフワに暴力をふるわなかったし、必要なものは買い与えていたし、毎食1000円の食費も与えてた。
少なくとも、衣食住は保証していたのだ。
そのことでフワに何か言ったりもしなかった。
フワに関心がなかっただけだ。
それだけなら良かったのに。
フワの母親は営業用の美しい笑顔に振りまきうちの食堂に現れた。
店の常連さん達も、俺の父親も、フワの母親に目を奪われた。
大人になった今のフワが人目を集めずにはいられないように、母親もそうだった。
女優だったのは本当だろうな、と子供心にフワと晩飯を喰ってた俺も、俺の友達連中もそう思った。
母親が見惚れて固まる父親の尻を蹴飛ばしていたのも覚えてる。
妹が「おばさん綺麗」とフワの母親に言ったのも。
「おばさん」と言われてフワの母親が一瞬顔をひきつらせたの覚えてる。
そして。
フワの顔から表情が無くなったのも。
まあ、フワはいつも長い前髪で顔をかくしているから、いつも表情なんかわからない。
でも、唇の色が真っ青になったんだ。
髪の向こうの顔が死んでいるのは見えなくてももうわかった。
俺達は、フワの顔が見えなくてもフワの表情がわかるようになっていたんだ。
そういえば、当時俺は不思議だった。
俺の家で俺と妹と風呂に入ったりもしてたから、フワが綺麗な顔をしているのはもう知ってた。
風呂から上がった俺達がちゃんと洗えているのかを確認しに来た母が、フワにいつも言っていた。
「綺麗な顔してるねぇ・・・俳優にでもなる?」
フワはそんな時、母親は女優だったとめったにしない自慢をしたのだ。
でも、フワは母親に似た美しい顔を隠したがった。
母親は気にとめないだけで、言えばお金は渡す人だったから、散髪代くらいは出しただろうに。
顔を隠していたのは。
フワの意志だったと、それも後からきいた。
でも。
フワは母親を愛していた。
愛してくれなくても愛していた。
一緒に暮らせるだけで十分だった。
それは知ってた。
母親のことを嬉しそうに話したから。
たから。
大好きな母親が店に迎えに来たのに、フワのこの表情は。
理解できなかった。
「一緒にご飯に行く約束でしょ。ママは今日お仕事お休みにするって言ったでしょ」
フワの母親は優しい声でいった。
俺達繁華街の子供達には営業用とわかる声で。
だが、父親や常連さんたちは、その声だけでふにゃふにゃになってた。
「嫌だ」
珍しくフワが言った。
本当に珍しく。
フワの指が震えていた。
俺は何かがオカシイと思った。
「ママを困らせないで」
フワの母親が悲しそうな声で言った。
悲しそうな顔で。
俺達子供は営業用だと思った。
だが、父親や常連さん達は自分達まで悲しくつらくなった顔をして、母親がお盆を父親の頭に叩きつけてた。
「ママのお願いを聞いてくれないの?」
フワの母親はフワの指を優しく握った。
フワはしばらく固まり、でも、自分から席を立った。
「いつもお世話になってすみません・・・仕事が忙しくて。でもこれからは、この子と一緒に過ごします・・・ありがとうございました」
母親は俺の両親に丁寧に頭を下げた。
母親は手土産さえ持ってきていた。
デパートの包み紙につつまれたお菓子か何か。
俺の母親に何度も頭を下げ、父親や常連さん達に笑顔を振りまき、フワの手を握りしめ・・・フワを連れて出て行ったのだった。
フワは何もいわず、でも、母親の手を振り払うことはなく連れていかれた。
「・・・・・・」
母親は眉をひそめていた。
母親はホステスだからどうのとか、子供を放り出してどうのとかを簡単にいう人じゃない。
愛があっても上手くやれない親もいて、だからといってその親子は引き離したらいいなんて簡単に物を考えるべきじゃないって知ってたからだ。
俺の友達にはホステスの母親が何人もいたけど、100点満点の母親とは確かに言えないけれど、でも、子供を愛していて、彼女達なりに頑張って育てていて。
子供達だって母親の欠点を承知で愛していて。
それなりに幸せだったりもしてたからだ。
でも。
俺の母親は俺達子供と同じで、何かおかしいものを感じていた。
その日から。
フワは俺達と遊ばなくなった。
宿題も、夕飯も。
俺達と一緒じゃなくなった。
もちろん、俺や妹と風呂にはいることもなかった。
フワは。
たった一人で。
戦ってたんだ。
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