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「あ、」
途端に、レイはその顔を青ざめさせた。
視界を覆い尽くすのは逞しいアザミの胸元で、その視界の端には血に染まった服、その向こうに、盗賊達の姿が見える。
いやだ、いやだ、やめてくれ。喉から出ない声で、レイは叫ぶ。恐怖が一瞬にして体を駆け巡り、視界は涙で歪み始める。
このままではアザミを失ってしまう、それが怖くて堪らないのに、何も出来ない自分が悔しくて苦しくなる。お願いだから、時間を止めて、今すぐ巻き戻して。
どうしようもない願いだとしても、祈らずにいられない。お願い、お願いと、力いっぱい閉じた視界が涙に溺れたその時、レイの頭の中に見知らぬ記憶がぱっと現れた。
そこにいたのは、見知らぬ少年で、見覚えのない景色。柔らかな草の感触、ホランの花、少し湿り気を帯びた夜風、見上げれば宝石を散りばめたような夜空、その下で、小さな手の先に繋がれた手。同じ大きさの手は、それは自分のものよりも華奢でキレイで、温かい。レイは、この手だけは信じられる事を知っていた。
その手の先にいたのは…。
パン!!
新たな乾いた音に、レイは、はっとして瞼を起こす。見上げたアザミの表情は変わらない。撃たれた訳ではないのかと、安堵と同時に困惑を覚えた。状況がよく分からない、更に続けて、パンパンッ、と弾ける音が聞こえ、それと共に、盗賊達が戸惑い騒ぐ声が聞こえてきた。
レイがようやくそちらへ顔を向けると、盗賊達の足元では何かが破裂を繰り返し、閃光と共に煙が上がっていた。レイは緩んだ腕から体を離すと、戸惑いながらアザミを見上げた。
「な、何が起きてるんだ?」
「俺はイカれた王子だからな」
その一言に、レイはきょとんとして、それから思わず視線を泳がせた。まさか、「イカれた王子」と言った事を根に持っているのだろうかと、レイは冷や汗を流しかけたが、アザミは軽やかに笑っている。
「自分の身は、自分で守る準備があるって事だ。あれはただの閃光弾と煙玉だ」
そう言いながら、アザミは腰に下げているポーチを広げて見せる。その中には、様々な小さな球体が入っていた、これが閃光弾や煙玉だろうか。アザミはレイを抱きしめる直前、これを投げていたのだろう。その他にも、包帯や薬も含め、様々な道具が入っていた。
「オマケに、眠り粉付きだ」
その言葉に、レイが再び男達を振り返ると、煙が風に乗って消えており、そこには、すっかり眠りに落ちた男達の姿があった。
「す、凄いな…まるで万能なポケットだ」
「準備が良いと言ってくれ」
アザミは得意気に笑ったが、途端にふらりと体を傾けてしまった。レイは慌ててその体を支え、ゆっくりと地面に腰を下ろさせた。
「ほら!大丈夫じゃないじゃん!」
「…はは、格好がつかないな」
慌てふためくレイに、アザミは苦笑う。その笑い顔を見ていたら、胸がぎゅっと苦しくなって、レイはアザミの手を掴むように握ると、顔を俯けた。
「…本当、イカれた王子だな」
「褒め言葉かな」
「もう、喋んな!」
レイは怒りながら、アザミのポーチを広げ包帯を取り出し、ひとまず応急措置に取りかかった。傷から溢れ出す血は止めどなく、アザミは表情こそ変えないが、その額には汗が滲み出ていた。
「…村に戻って、早く医者に診て貰おう。大丈夫、こんな村の医者だけど、腕だけは確かだから」
「頼もしいな」
また軽口を言い出すのかと、レイが眉を顰めてアザミを見やれば、アザミは柔らかに目を細め、そっとレイを見つめていた。その愛しそうな眼差しに、レイは途端にどっと胸を打ち付けて、あからさまに狼狽えてしまう。発しようと思った言葉はどこかへ消えて、うろうろ落ち着きなく視線を彷徨わせる、そんな自分が恥ずかしくて、どうにか気丈に振る舞ってみせようとしたが、どうしたってアザミのように平然とはいられなかった。
自分は何をしても取り乱すばかりなのに、アザミはどんな時も冷静で、今だって、こんな傷を負わせてしまったのに、自分を責める事もない。
そう思ってしまったら、レイは見えない壁がアザミとの間に立ち塞がる気配を感じた。その体に触れて、こんなにも近くにいても、アザミは遠い存在だ。
アザミは、王子様なんだもんな。
住む世界が違う人間、それを突き付けられた気がして、それなのに、自覚すればするほど、苦しくなる。
忘れていた過去の自分が悲しんでいるようで、レイはますます困惑して、アザミの顔を見る事が出来なかった。
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