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第54話 上色見熊野座神社 2
「思ったより涼しいね」
顔にそよそよと吹くそよ風に、
目を細めながら先輩がそう言った。
「お水飲みますか?」
僕が訪ねると、先輩は
「お願いします」
と言って右手を差し出した。
「準備いいね~」
「先輩、水分の携帯は、夏に外に出る時の常識ですよ。
はいどうぞ」
そう言って僕は水のボトルを先輩に渡した。
「いや〜歳を取ると異動って車が殆どだから
そう言った常識を忘れちゃうね。
確かにお茶とか車の中のカップホールダーに入れてるんだけど
持ち歩いたりしないからね〜」
そう言って先輩は一口水を口に含んだ。
「は〜 喉が乾いた時の水は美味しいね。
どう? 陽一君も飲む?
多分1人では空け切れないからさ」
そう言って先輩の差し出したボトルを受け取ると、
一口コクリと飲んだ。
「あっ、間接キスだ〜」
と、からかったようにして言った先輩に、
「先輩、あなたは小学生ですか?!」
と冷ややかに僕がそう言うと、
「だって、意識してほしかったんだもん!」
という先輩のセリフに、
僕の顔がカーッと赤くなるのを感じた。
“またこの人はそう言う事を平気で!
やっぱりそれって、意識されてないって事なのかな?”
「何? 真っ赤になって!
昨夜は大胆だったのに今日は恥ずかしいの?」
からかったような感じではあったけど、
先輩の予期してなかった言い返しにドキリとした。
“あのキスの理由を聞かれたらどうしよう?!
今のうちに会話を変えなくちゃ!”
そう思い、慌てて先輩に尋ねた。
「ねえ、先輩は昨夜色々と僕に質問したけど、
それって……かなちゃんと先輩が
高校生の時にここで話した事なんですよね?」
「そうだね~
もう15年くらい前になるけどね~」
「先輩自身はその質問に何と答えたのですか?」
僕が尋ねたら先輩はビックリした様にして僕を見た。
「何ですか?
僕何か変な事言いましたか?」
「いや〜 ビックリした。
あの時は要君だけの意見を聞いて、
実を言うと要君は同じ質問を聞き返さなかったんだよね。
今思うと何故だったんだろうね?って思うよね?
普通だったら、聞いた本人にも聞いちゃうよね?
陽一君も昨夜は聞き返さなかったので、
何も疑問に思わなかったよ。
そうだよね、僕が尋ねたら、僕の意見も聞きたいよね?」
先輩がそう言うので僕はコクリと頷いた。
「ほら、僕ってさ、何時も番のいる人を好きになってたじゃない?
だからさ、他の人は番のいる人を好きになったらどうするのかな〜?
とかさ、思って……
あれ? もしかして要君は、
僕がお母さんの事好きで
そう言った質問しているの気付いてたのかな?
え〜 陽一くん、どう思う?
そうだったら恥ずかしいんだけど!」
「ハハハ、そうだったら先輩らしくて笑っちゃいますよね。
でも、もう時効じゃ無いんですか?」
その後先輩は、う~んと唸って、
「ちょっと待って、いや、僕要君には話したことあるよ!
確か僕が要君に告白した時言ったと思う。
あの時はテンパっててすっかり忘れてたや!」
「でもその話を阿蘇でした時は、
未だお祖母ちゃんの事好きって言って無い状態なんですよね?」
「うわ~
だったらやっぱりその時はもう……
恥ずかしくて帰った時、要君の顔が見れないや」
「大丈夫ですってば!
かなちゃんだってもう覚えていませんって!
それより、自分自身の質問に対する先輩の答えは何なんですか?」
「いや〜 実を言うとさ、がっかりかもだけど、僕に答えは無いんだよ。
だから聞いてみようと思っただけでさ。
そして出来れば、何故僕は番の居る人ばかり好きになるのか、
知りたいな〜なんてさ」
そう言って先輩は苦笑いした。
僕はゴクリと唾を飲み込んで、
「先輩って今でも番の居る人が好きなんですか?」
思い切ってそう尋ねてみた。
「そりゃあさ、僕も健全な男子αなので、
好きになったΩはいるんだけどさ……」
先輩の口からそう言った答えが返って来てドキッとした。
「それって過去形なんですか?」
僕がそう尋ねると、
先輩は僕の顔をジーッと見た。
「実は僕がアメリカにいた時ね、
付き合った事のある人がいたんだ。
彼はハーフのΩでね、
母親が日本人だったんだ。
彼の家族にも会いに行ったりして、
とても良い家族だったよ。
僕を受け入れてくれたし、
そして何よりも彼は僕を愛してくれた……」
そして先輩が黙り込んだ。
その時の先輩の表情に、
僕は少し胸が苦しくなった。
「それでどうなったんですか?」
「彼はね、凄く要君に似ていたんだ。
見た目も、雰囲気も……
何もかもが要君にそっくりで……
要君がそこに居るんじゃないかって
錯覚まで起こすほどに要君に似ていたんだ……」
「それじゃぁ……」
「うん、僕って最低だよね。
あれだけ彼に愛情を注いでもらったのに、
僕がね、ダメだったんだよ。
愛せると思った。
あんなに要君に似ていて……
でも気付いちゃったよ。
僕には彼は愛せないって……
それにどうしても、運命の番が諦め切れなくて……
いや……
それは建前か……
本当言うと、要君の事、
かなり引きずっててね、そのことと、
運命の番を諦めきれないってのがごっちゃになって
気付いたらもう彼とはダメだったよ……」
先輩が寂しそうに言った。
先輩は本当にかなちゃんの事が好きだったんだなと思った。
「先輩、いったいどれくらいかなちゃんの事好きだったんですか?」
怖いけど、怖いもの見たさなのか、
聞きたくなかったけど、知りたかった。
先輩は一瞬僕の方を見ると、
少し複雑そうな顔をした。
でも正直に彼の気持ちを話してくれた。
「僕は…… 彼が好きだった……
凄く好きだった。
心の底から愛していた、狂おしい程に。
あんなに愛せる人に出会えるとは思っていなかった。
凄く大切な存在だったし、
僕がすっと守りたかった。
裕也になんて渡したくなかった。
本当に彼の全てが僕の命だった……」
先輩の心の叫びを聞いたような気がした。
“先輩はまだ僕の事に気付いてない。
僕は運命の番である先輩に
そこまで愛してもらえるのだろうか……?
僕の思いは独りよがりなのだろうか?
運命の番でも、どうにもできないことは
あるんじゃないんだろうか?
もしかたら僕の思いは間違っているかもしれない……”
そう思うと、胸が苦しくて、苦しくてたまらなかった。
“ねえ、陽一君”
先輩が空気の流れを変えたようにして訪ねてきた。
僕は先輩のそこまでのかなちゃんへの思いに
少し我を忘れていた。
「陽一君?
自分の母親を思う父親以外の男って気持ち悪い?」
先輩のその問いに、僕は首を左右に振った。
先輩は悲しそうな眼をして、
「ありがとう……」
そう言った後で、
「でも心配しないで、
要君の事は本当にもう完全に吹っ切れているから!
ただ、その頃の自分の心が懐かしいなって……
そんな思いをずっと大切にしていきたいなって言う気持ちは今でもあるんだ。
だからその時の経験は僕にとって必要だったのかな?って今では思える」
と言ってくれたので、
僕の苦しかった気持ちも少しは晴れた。
「ねえ、陽一君はさ、愛についてどう思う?」
と先輩が急に訪ねた。
「あ……い……
あ……い……
あい……
愛……?」
暫くの間、その質問が理解で来てないように反芻してみた。
きっと僕の意識はまだ
先輩がかなちゃんをおもう気持ちの所にあったんだろう。
でも暫くすると、頭がはっきりしてきて、
やっとその質問の意味が理解出来た。
「え〜 今度は愛ですか?
ねえ、先輩はどうしてこんな話を僕としたいの?
僕は単なる中学生で未だ何の経験も、
知識もない13歳のただの子供ですよ?
僕とこう言う話をするのは何か訳があるのですか?
先輩は僕からなにか答えを探しだしたいんですか?
先輩は夕べ、ちゃんと上書き出来なかったのですか?」
「夕べは素晴らしかったよ。
陽一君の答えは僕が思っていたよりも力強くて、
説得力があって、ちゃんと僕の期待に応えてくれた」
「それだったらよかったです……」
でも僕には、先輩の意図が全く分からなかった。
“何故子供の僕にこんな話題を持ち出すんだろう?
愛なんて先輩の方が分かっていそうなのに……”
「僕さ、陽一君の前だと凄く素直になるみたい……
陽一君が聞き上手なのかな?
陽一君に尋ねられると、自分の心がさらけ出せるようで……
変だよね、33歳のいい大人が……
でも陽一君に聞いてほしくて……
陽一君には僕の事を何でも分かっていてほしいみたい……」
先輩のその言葉に、僕は不思議な感覚を覚えた。
それはまるで僕が夕べ話していた、
“前から知っているような”
そんな感覚だった。
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