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第70話 夏休みの不愉快
ゴロゴロゴロという雷の音で目を覚ました。
昨夜は少し寝苦しくてエアコンを付けた。
起き出してカーテンを開けると、
いいお天気なのに、すぐそこに入道雲が見えるた。
入道雲は黙々と凄い速さで大きくなりながら、
雲の隙間から眩しい光を放っていた。
おそらく雷はその入道雲から聞こえてきているのだろう。
“あとで一雨きそうだな”
そう言ったような空だった。
入道雲の間に輝く稲妻に目を細めながら、
僕は窓の横に飾ってある絵に視線を移した。
額縁がすごく綺麗な絵画だ。
僕は指を延ばしてその額縁に触れると、
そのカーブした綺麗な模様をそっと指でなぞった。
「先輩、お早う」
そこに飾られた絵は、矢野先輩が僕の入学祝いとしてくれた絵だ。
この額縁は僕のリクエストで先輩がわざわざ自彫してくれた。
僕は絵に近づくと、じっとその絵を眺めた。
先輩のくれた絵には4人の子供たちが、
草原で花冠を作りながら、戯れて遊んでいるもので、
その中の一人の子がにっこりと、
こちらを向いて微笑んでいるものだった。
この絵を見るたびに何だかわからないけど、凄く切なくなる。
一番最初に見た時は、
なぜこの絵がと思ったけど、
今では毎日見て、話しかけているせいか、
絵に魂が宿ったような気さえする。
時々、この中に居る子供たちがキャンバスから出てきて、
僕の部屋で遊んでいるような気さえしてくる。
「みんなもおはよう。
今日は一日暑くなりそうだよ。
今日から塾の強化合宿だから、
1週間後にまたね」
そう言うと、僕はサッと着替えて、
昨夜のうちに用意しておいたキャリーケースの取っ手を掴むと、
「かなちゃん、おはよう!」
そう言ってリビングへと出ていった。
「陽ちゃんお早う。
今日から合宿だよね?
今九州の南の方に台風来てるみたいだから大丈夫かな?
取り敢えずはこっちには来ないみたいだけど、
十分気をつけてね。
必要なものは全部持った?」
「大丈夫だよ。
もう子供じゃないし……
自分で旅行の準備だってできるんだよ。
それより、お父さんはもう出かけたの?」
「うん、陽ちゃんに頑張ってこいって言ってたよ」
「そっか、有り難う。
最近お父さんに会って無いから忙しいんだとは思ってたけど、
会えないと寂しいもんだね……」
「ハハハ、陽ちゃんがそう言ってたって先輩に言っておくよ!
きっと小躍りしちゃうよ!」
かなちゃんのそのセリフが可笑しくてクスクスと笑っていた。
「お早う〜
お兄ちゃん、今から合宿?」
あ~ちゃんを見ると、
凄い恰好をしていた。
「あ〜ちゃんお早う!
すごい格好だね。
それ何て言うんだっけ?
キャミ?
風邪ひいちゃうんじゃ無いの?
それに女の子なのにお腹ボリボリと掻いて……」
あ〜ちゃんは最近メキメキと身長が伸び、
この夏休みで160cmを超えた。
肩下まで伸ばした黒髪がサラサラと波打って、凄く綺麗だ。
寝癖がついていても、サラサラとしているのには天晴だ。
細くてふわふわな僕とは大違いだ。
寝癖が付こうものなら、爆発したようになる。
顔も凄く整っていて、キリッとした顔をしている。
色も白く、赤く濡れたような唇がマッチして、
とても11歳には見えない。
あ〜ちゃんはきっとαだ。
僕のような努力をしなくても、
きっと何でもやって退けるのだろう。
実際に学年で一番賢いらしく、
スポーツもかなり成績が良いらしい。
同じ親から生まれてきたのに不公平だと思うこともしばしば……
あ~ちゃんは小学校でバレーボールをやっている。
お父さんの影響だと思う。
かなちゃんのお友達の青木さん(旦那さんの方)とは話が合うらしく、
良くお祖父ちゃんに連れられて、
青木さんのカフェにお邪魔しては長居をしているらしい。
その度に、
「どんどんお父さんに似てくるね」
と言われるのが嬉しいらしい。
あ〜ちゃんは度がつくほどのパパっ子だ。
「ふぁ~ お兄ちゃん、気を付けてね」
そう言いながらあ〜ちゃんは大きく欠伸をした。
なんだかんだ言ってもやっぱり11歳だな。
そう思いながら家を出た。
矢野先輩の住んでいる階に着いた時、
エレベーターが止まった。
僕はこの階でエレベーターが止まる事に少しトラウマがある。
ドアが開く瞬間ドキドキとした。
“先輩だったらどうしよう……”
でも、エレベーターの前に立っていたのは詩織さんだった。
今一番会いたくない存在の人だ。
狭いエレベーターの中では隠れることもできなければ、
逃げることも出来ない。
“きっと僕の事を覚えてないと言う事は無いだろう”
そう思い、
「おはようございます」
と小さく挨拶をすると、
僕は直ぐに下を向いた。
恐らく先輩のうちから出勤なのだろう。
それにしては先輩が一緒にいない……
「あら、あなた、佐々木さんとこの陽一君……よね?
私の事、覚えてるかしら?」
“やっぱり覚えてたか!”
僕は詩織さんにチラッと視線を向けると、
「あ、はい。
詩織さんですよね?
ご無沙汰しております」
そう言ってまた下を向いた。
「もしかしてその制服って
セント・ローズ? 凄いわね。
陽一君って確か……」
と言いかけて黙り込んだ。
僕が
「え?」
と聞き返すと、
「ううん、何でも無いの。
セント・ローズって超進学校よね?
夏休みなのに今日も学校?
あら? でもキャリーケース……」
「あ…… 今日から強化合宿で……」
「偉いわね。 頑張ってね」
「ありがとうございます」
そう言ったのと同時にエレベーターのドアが開いた。
一階に着いたようだ。
「じゃあ、失礼します」
そう言って歩き出そうとしたら、
「ねえ、陽一君?」
と呼び止められたので、
僕は立ち止まって後ろを振り向いた。
「陽一君ってΩなんだよね?」
僕の頭の中は “!” という状態だった。
「それが何か詩織さんと関係あるんですか?」
「そうね、凄く関係あるのよね」
「あの……
どう言う意味でしょうか?」
「矢野さんってαよね?
もしかして陽一君って矢野さんの事……」
そう来たのでドキッとした。
何故そんな事聞くんだろう?
僕の事牽制してるのかな?
「もしかして僕が矢野先輩に懸想していると思ってらっしゃるんですか?
それでしたら詩織さんの思い違いです。
それに僕、もうずっと先輩とは会ってないんです。
僕が先輩の事好きだったら、近くに住んでるのに、
ずっと会わないって事は出来無いと思うんですけど……
でも、何故そんなことを?」
「ううん、それだったらいいんだけど、
もしかしたらって前に思って……
そうだとちょっと可哀想かなって……」
「それ、どう言う意味ですか?」
「矢野さんと会ってなかったなら聞いてないと思うけど、
実は私達、もう数年位付き合ってるの……」
「…… その事でしたらもうずいぶん前に気付いてました……
それで僕と何か関係があるのでしょうか?」
「そうねぇ……
実を言うとね、彼が中々結婚を決めてくれないの……
何故だろうって思って……」
何故僕はこんな話を聞かなければいけないんだろう?
僕は悔しくて唇をギュッと噛んだ。
「僕がそんな事知るわけないじゃないですか……
訪ねたいことがそれだけだったら失礼しても良いですか?
電車の時間がありますのですみません」
「そうね、最後に一つだけ……
矢野君に会ってなかったら良いのだけど、
くれぐれも私から矢野君を取らないでね。
ここまでくるのに、私、凄く頑張ったんだから」
「あの…… それは僕ではなく、
先輩が決めることで……」
彼女は少し考えたような顔をして、
「そうね、そうよね。
まあ、矢野さんは良い年だし、
あなたはまだ高校生だしね。
結婚を決めるのに、ずっとあなたの存在が邪魔してるのかなって思ってたんだけど……
私の思い過ごしのようだったわね。
呼び止めて御免なさいね。
じゃあ、合宿頑張ってね」
彼女のセリフに僕は吐き気を覚える程嫌悪感を持った。
僕は深々とお辞儀をすると、
急いで駅へ向かって歩き出した。
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