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「はあー……」  盛大な溜め息と共に迎えた目覚めは最悪だった。そもそもあまり眠れなかった。せっかく定時で帰宅し、いつもよりもかなり早い時間に布団に入れたというのに。  原因は明確で、そいつは俺にくっついて寝ていた。確かに互いに背を向ける体勢で眠ったはずが、いつの間に移動したのか、あどけない寝顔をした少年は俺の胸にしがみつき、すぴすぴと寝息を立てている。 「おい。……こら、起きろ」 「ん、んん……おはよう、ございます……りょうたろうさん……」  俺が身を起こすのに合わせて、自身も半身を起こした少年は、小さくあくびをした後、まだ寝足りなさそうに目元を擦っている。完全に人間にしか見えないその所作は、実はすべてが作り話で、彼はただの家出少年なのではないか、という気持ちにさせてくる。けれど、昨日実際に見せられたプラグは確かに本物だったし、わざわざ手の込んだ嘘を吐いてまで、俺のところに居座ろうとする理由があるとは思えない。  こうして、彼について深く探ろうとすることは、どんどん自分の退路を断っていくことのように感じられた。余計なことなど考えずに、さっさと掴まれた手を離してしまえばいいものを。それが出来ないのは、彼の目があまりにも真っ直ぐに俺に縋るから。俺しか居ないのだと言うように、縋るから。 「(……しんどいな、くそ)」 「……りょう……さん……遼太郎さん!」 「!? うわっ、え、あ、なに?」 「大丈夫ですか? ぼんやりしていたようですげど……。あの、朝ごはん、お召し上がりになりますよね?」  言われて反射的に枕元に置いてある時計を見遣った。アラームをセットしてある時間にはまだ早く、出勤には余裕がある。朝食を摂ってからでも、十分に間に合う。だが。 「……朝ごはん、っつったって……何かあったか?」 「台所にパンがあります!」  清々しいほどにキラキラとした笑顔だった。 「じゃあ、準備している間に顔を洗ってきてくださいね」  俺の返事を聞く前に、少年はぱたぱたと台所へ向かっていく。狭い部屋なので、その背が遠くなる訳ではないのだが。俺は、言われるままに洗面所に向かい、身支度をすることにした。  果たして、食パンだけで一体何が出来るのかと思ったが。 「……ご、ごめんなさい……!」  俺の目の前には真っ黒焦げのトーストがあった。そういや冷蔵庫にマーガリンが入っていたかもしれない。……いや、そうではなく。 「…………」  黙ってそのトースト(らしき物体)を持ち上げ、俺はそれに齧りついた。もの凄く固い。ガリガリいってる。  顰めっ面でトースト擬きを黙々と租借している俺に堪え兼ねたのか、少年が半泣きで俺からそれを取り上げようとしてきた。 「ああああのっ! それ以上食べないでくださいっ!! 絶対体に悪いですから~!!」  確かに、食物としてはどうなのか、というレベルなのだ。けれど、俺は全く違ったことを考えていた。  こんな風に、自分のためだけに作られたものを口にするのは、一体いつぶりだろうか。大学に入るのに実家を出て以来かもしれないから、もう七年くらい……? 「(たまには実家に顔出すかなあ)」 「遼太郎さん……?」 「あ、ああ悪い……考え事だ……。その、お世辞にも美味いとは言えないんだけどさ、気持ちは嬉しかった。だから……ありがとな」  恥ずかしいことを言っている自覚があったから、俺は思わず少年から目を逸らした。だが、彼が何も反応を示す気配がないのが気になって、そちらに視線を向ける。その瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、まろやかな頬を真っ赤に染めた、少年の姿だった。 「お前……なんて顔してんだよ……」 「あ……えっと、その……あなたに褒めていただけたのが、嬉しくて……」  ……たった、それだけ? それだけのことで、こんな反応をするというのか。どうして、どうしてこいつは、俺に対してこんな風に――。 「っ!」  またも考えを巡らせかけた俺の手に、少年が自身のそれを重ねてきて、驚きに息を詰める。少し潤んでいる丸い瞳が俺を見上げ、柔らかそうな桃色の唇は、はくはくと小さく開け閉めを繰り返した。 「……あの、ぼく……ずっと前から、遼太郎さんのこと――」  ――ピピピピピ。ピピピピピ。  張り詰めた空気を蹴散らすように、設定したままだったアラームが室内に鳴り響いた。反射的にスイッチを切り、部屋はすぐに静寂を取り戻したが、俺たちの間には妙な気まずさが渦巻いていた。 「……悪い、今、何か言いかけてた、よな?」 「ごめんなさい。なんでも、ありません。……それより、そろそろお仕事のお時間なのでは?」 「え、あ、おい……ちょっと!」  俺は少年が促すままに席を立ち、上着と鞄を持たされると、あれよあれよという間に室外に出された。待て、ここ俺の部屋なんだけど!?  呆然と閉められたドアを見ていると、そこがほんの少しだけ開いて、ちらりと顔を覗かせた少年が、小さな声で「いってらっしゃい」と囁いた。それからすぐにドアは閉じられ、俺は一拍置いたのちに鞄の中身を確認すると、そのまま仕事に向かった。見送られるのも悪くない、と思ってしまったのは一瞬だけだ!  ちなみに、その後電車の中で鍵をあいつに預けて来るのを忘れたことに気づき、「これ、今日も追い出し損ねるパターンでは?」と頭を抱えたのは、また別の話である。

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