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「……ただいま」
「あ、おかえりなさい、遼太郎さん!」
当たり前のように返事があることを、何もかもがうやむやなまま享受するのは良くない。今夜こそは、こいつときちんと話をしなければ。昼間の資料で思い出した『マキナ・カンパニー』のことも含めて。
「……お夕飯、ですか?」
少年が俺の下げているコンビニのビニール袋を見ながら言う。中にはスタンダードに幕の内弁当が入っている。
「ああ、うん。俺の家、今何にも無かっただろ? カップ麺くらいしか」
「あ、はい、でも……卵と、ごはんと、お塩はあったので……」
どことなく歯切れの悪い言い方をする少年を訝しみ、彼が立つその向こう側、狭い室内の真ん中に鎮座するローテーブルの方を見遣った。すると、そこには、不格好なおにぎりと、皿に乗ったスクランブルエッグ。
「…………お前、あれ……」
「か、勝手にごめんなさいっ! その、遼太郎さん、お腹すいてるかなって思って……」
「……いや、それは良いんだけど……。俺、何時に帰るかも言ってなかっただろ……?」
そもそも朝は半ば追い出されたようなものだったし。俺の表情から、考えていることが伝わったのか、少年は気まずげな顔をした。
「……もしかしたら、早く帰ってきてくれるかなって……ただの予感だったんですけど。だから、当たって良かったです!」
そう言って少年はふわりとした笑みを浮かべた。向けられたこっちが恥ずかしくなるような笑みだ。けれどそれはすぐに翳りを見せる。彼の視線は、俺の持ったビニール袋に注がれていた。
「あの、お弁当、ありますし……ごめんなさい、すぐに片づけ――」
「いや、いい。……せっかく作ってくれたんだし、そっち食うから」
「でも……」
「別に、弁当は明日の朝温めて食べればいいし……勿体ないだろ」
玄関先で問答しているうちに、食事が冷めてしまうのはいただけない。俺はさっさと鞄を置いて部屋着に着替えると、手を洗いに洗面所に向かう。習慣化しているその行動を、少年が何か言いたげに見つめてくる。
「……何」
「いえ、あの、遼太郎さんって、割とちゃんとした人なんだなって……」
「どういう意味だ、この野郎」
まだ半分濡れている手で、少年の頬をぐにぐにと揉んだ。柔らかい頬だ。「ひゃあ」っと小さく悲鳴を上げたのち、彼は笑いながら身を捩る。気づけばつられて俺も笑ってた。自分がこんな風に、他人相手にふざけ混じりの振る舞いが出来ることが、少し変な気分で。
もう少しこのままでもいいかも。明日も、いやせめて明後日まで。
そんな思いが胸の中に芽生えたことに気がついた。
たぶん俺は……こいつと居るのが楽しいんだ。
「……遼太郎さん、ごはん、冷めちゃいますよ?」
「……ああ、そうだな」
だから尚更、色んなことをそのままにはしておけない。
俺は食卓に着きながら、話を切り出すタイミングを考えることにした。
結論から言うと、少年の作ってくれた夕食は、おにぎりはしょっぱかったしスクランブルエッグに卵の殻が時折混じっていたけれど、不思議と悪くなかった。恐るべし手料理マジック……。
「あの……お口に、合いましたか?」
「…………ああ、まあまあ」
「……無理しなくていいんですよ」
俺が少しだけ彼から目を逸らしたのを見て、落ち込んだように俯いた少年が「……練習します」と呟いた。まるで、俺たちにこの先があると、信じているような言い方だ。
「……なあ、お前……俺が追い出さなかったら、ずっとここに居るつもりなのか?」
「……ご迷惑なのは、わかってます。でも、ぼく、遼太郎さんのそばに、居たくて……」
「すべきことをしないと、選べない選択肢があるって、知ってるか?」
少年が息を呑む。やはり彼には、目を逸らし続けていたい何かが、あるのだろう。それを暴いて、その果てに、まだ彼がここに居ることを選ぶなら。俺が彼の頼りない手を、取ろうと思えるなら。
「……『マキナ・カンパニー』って、聞いたことあるか?」
「っ!!」
目の前の彼の顔が、蒼白になった。心当たりがあるのだろう。俺の予感は正しかったという訳だ。
「うちの会社と提携予定の企業なんだ。産業用ロボットの開発で頭角を現してる所でさ。お前は、もしかしてそこの――」
「やめてください!!」
少年が、悲痛な声で叫んだ。華奢な肩は震えている。
自身の体を掻き抱くと、怯えた様子で小さいその身をさらに縮こめ、丸くなった。
まるで、自分が彼を害する悪党にでもなった気分で、居心地が悪い。
「……嫌、嫌です、あそこには帰らない……! 他の人のものになんて、なりたくない!」
「お前……昨日、自分は“商品”じゃないって……」
「……ごめんなさい。……ぼく、嘘をついたんです……」
少年は、月のように静かなきらめきを放つ瞳から、はらはらと透明な雫――果たして、アンドロイドの涙とは、どんな味がするのだろう――を零しながら、訥々と語った。
自分が、既に他の人物との間に売買契約がなされた個体であること。出荷直前のメンテナンスを振り切って、逃げてきたこと。自分の居場所は体に埋め込まれたICチップの働きで筒抜けであり、企業側はいつでも捕まえられる少年を、何の理由かはわからないが、泳がせているに過ぎないだろうこと。
「……なんで、嘘なんか」
「あなたに、もう一度逢いたかった! 嘘をついてでも、あなたのそばに居たかったんです、遼太郎さん……!」
「そこまでして、どうして俺を……!」
「……覚えていますか。三ヶ月ほど前の、ことです。あなたが、カンパニーのビルにいらっしゃった日のこと」
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