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その日、俺は上司と共に、とある企業の本社ビルを訪れていた。
「(大きいビルだな……)」
都会の真ん中で働く人間にとって、高層ビルのひとつやふたつなど見慣れたものであるはずなのだけれど、郊外にあるその企業『マキナ・カンパニー』は、オフィスとしてのスペースと、自社製品の生産工場とが一体化された広大な敷地の中にあった。それ故か、自分が日頃働く場所よりもずっと大きなそこに、俺は圧倒されていた。
今後交わされる予定の業務提携契約について、大まかな話が纏まった。詳細はお互いの社で詰めていき、摺り合わせ後に正式契約となるだろう。これから忙しくなりそうだな……。
雑談に花を咲かせている上司と先方の社長を見、これはもう暫く掛かりそうだと判断した俺は、断りを入れてトイレに立った。長いこと座りっぱなしだと、疲れも出てくる。用を足すついでに辺りを少し歩かせてもらい、息抜きしようと目論んでのことだ。
「しかし、ほんとに広い会社だな……」
手入れが行き届いている白い壁面を見るともなしに見ながら、俺は通路に沿って歩き回ってみた。先程自分が居た応接室からは離れすぎないように気をつけつつ、周囲を見渡す。綺麗な社屋だ。こんな所で働けたなら、さぞかし仕事が捗りそうだと思えるような。自分の会社の環境が悪いとは言わないが、整えられた環境というのはやはり落ち着く。
「……ん?」
ふと視線を感じ、その方向へと目を向けると、俺が立っている通路の先。曲がり角の影から、ひとりの少女がこちらを見ていた。
なんで子供がこんな場所に。そう思った次の瞬間には、遠目からもよくわかる少女の整った容姿に、俺は目を奪われていた。
腰ほどまである、さらさらのプラチナブロンド。まるで月のような、青とも白とも黄ともつかない、不思議な色合いの瞳。綺麗な円形のそれは、本物の満月みたいで。そして、それらをより引き立たせる、陶磁器のようになめらかで白い肌。極めつけにフリルをふんだんにあしらった真っ白でふわふわのワンピースを身に纏った彼女は、まさに天使そのものと言えそうだった。
「(うっわ……すげえ綺麗な子供だな……。外人のモデルか何かか?)」
じろじろと不躾な視線を投げつけてしまっていたことに気づき、慌てて首を横に振ったが、目を真ん丸にして俺のことを見ていた少女は、そんなことを気にした風もなく、やがてそろりそろりと近づいてきた。
「……あ、あの、その……」
発された声まで澄んでいて、俺は思わず天を仰ぎたい気持ちになる。けれど、その声音は想像よりも中性的で落ち着いたトーンだった。
何か言いたげに唇を開け閉めしては、もじもじと俺を見上げる、という所作を繰り返す少女を前に、俺はひとつの仮説を立てた。
「……もしかして、迷子?」
こくりと小さく頷いた彼女に、俺は少女を入口の受付まで連れて行ってやることにした。どうせ今日の商談はもう終わっているようなものだし、雑談中の上司を思えば、少しくらい戻りが遅いのは許されるだろう。
「じゃあ、受付まで案内するよ。おいで」
そっと少女に手を差し出すと、小さな指がきゅっと俺のそれを掴んだ。かわいい。……ではなく。
俺は蔓延る雑念を脳内だけで振り払いながら、彼女の歩幅に合わせてゆっくり歩を進めた。
「あの、すみません」
受付へと辿り着いた俺たちは、カウンターに座っている受付嬢に声を掛ける。柔らかな動作でこちらに顔を向ける女性。今日の商談前に声を掛けた時も思ったが、この人も美人だよな……。栗色の髪がよく似合う。
「はい。いかがなさいましたか?」
「さっき向こうの通路でこの子に会いまして。迷子のようなのですが……」
女性は少女を一目見るなり訳知り顔で微笑むと、俺の方へと向き直った。
「大変お手数をお掛けして申し訳ございません。この子はこちらでお預かりいたしますので」
「あ、はい。じゃあ、よろしくお願いします……」
「ま、待って……!」
あまりにあっさりと用が済んだので、拍子抜けしつつも、応接室に戻ろうと踵を返した俺の背に、呼び止める声。
足を止め振り返った俺の元に、少女が駆け寄ってくる。何かを渡そうと差し出される手に合わせて、身を屈めた。開いた手に軽い金属の擦れ合う音と共に落とされたのは、シルバーのペンダント。細いチェーンにドッグタグのモチーフが付いている。
「これは……?」
「もらって、ください。……その、また逢えるように、あなたに持っていてほしいんです……」
それは、どういう意味だろう。少女に問うよりも先に、彼女は走って受付のカウンターの後ろに隠れてしまった。視線を上げた先、受付嬢の女性と目が合って、やっぱり訳知り顔で微笑むだけの彼女に、たぶんこれは黙って受け取るのが正解なのだと無理矢理自分を納得させると、俺は今度こそ上司の待つ応接室へと戻ったのだった。
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