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「……まだ、持っていてくれてますか。あのペンダント」
「ああ。会社のデスクの引き出しの中、だけど……」
「……よかった」
心底そう思っている、とでも言うように微笑む少年。彼があの話を知っているということは、即ちそういうことで。
「……お前なんだな? あの時の、女の子」
「はい。あの時は、メインのボディがメンテナンス中で、代替のものを使用していたんですが……社長や1号たちが面白がって、服やら髪やらをいじるから、あんな姿に……」
彼としては不本意だったのか、苦虫を噛み潰したような顔でぶつぶつ言っている。
けれど、これで今までわからなかったことが、少しずつ繋がる気がした。どうして、この少年が俺の前に現れたのか。
「何か意味があるのか。あのペンダント」
「はい、あれは……ぼくを所有する人に渡される予定だった、ものです。ぼくという個体の、初期化パスワードが刻まれているんです」
言われて、確かにプレートの表面に英数字の羅列があったことを思い出す。一見するとデザインの一種にしか見えないようなものだ。
「おっ前……! なんでそんな大事なもの! どうすんだよ、ずっと会社に置きっぱだったんだぞあれ!?」
「……大丈夫ですよ。ぼくがもし、カンパニーに連れ戻されたなら、初期化メンテナンスを受けて、パスワードも変えられて、本来行く予定の場所に、出荷されることになるでしょうから」
あまりに落ち着いた声で、淡々と自身が受けるだろう扱いについて語る少年に、ぞっとした。
俺相手にこんな話を聞かせて、だから自分を引き取れと、そんな脅し染みた意図で言っているのではないとわかるから、余計に。
けれど、ひとつ気になる点がある。あの時、受付の彼女は少年がペンダントを俺に渡すのを見ていた。彼があの頃から監視下にあった個体ならば、とうに初期化とやらが施されていてもおかしくないのではないか?
彼は、或いは彼の目に留まった俺が、試されているのではないだろうか。何を? 何のために?
「……遼太郎さん?」
黙って考え込む俺の顔を、少年が覗き込んでくる。夜空を照らす、満月のような、瞳で。
「……なあ、お前は……どうしたい?」
「え?」
「帰りたくないって言ってたろ。俺に会うために、逃げてきたんだろ」
何度も示されてきた感情。明確な言葉で受け取った訳ではないけれど、ここまで言われれば、いくら俺がその手の感情を避けて生きてきた人間だったとしても、さすがにわかる。
けれど、俺はまだ、彼が「俺に何を望むのか」は聞いていないから。
少年の瞳が揺らぐ。逡巡した様子で、あちらこちらへ視線を彷徨わせること数分。彼の瞳が再び俺へと向けられ、形の良い唇が、ようやく音を紡いだ。
「……ここに、居たいです。他の誰でもない、遼太郎さんの、そばに」
「うん」
「……あなたに、初めて逢った時……大切な回路がすべて、ショートしてしまったみたいな、とても大きい衝撃が、ぼくの中に走ったんです。ぼくたちのようなものには、たぶん存在し得ない感覚。……人は、あれを、「一目惚れ」と呼ぶのですね」
恋する乙女、と表現するのが相応しいだろう、蕩けた微笑み。
……これほどのものを頂戴してしまっては、俺もいい加減、相応のものを返さねばなるまい。
「あなたが、すきです。……だいすきなんです、遼太郎さん」
「……うん」
真っ直ぐに向けられる、純粋すぎる好意は、目を背けたくなるくらい眩しいけど。
俺は今の俺なりの答えで、こいつに応えることに、決めた。
「……今の俺に、お前がくれるものと同じものを返すことは出来ない。自分で自分の気持ちがよくわかってないのに、適当な言葉で返事なんて、出来ないだろ。……だから、代わりに、ここに居るための理由をやるよ。…………ミヅキ」
「!!」
回りくどい言い方をしたかもしれないが、それでもこいつには伝わったらしい。零れ落ちてしまうのではないか、というくらいに見開かれる、満月 。
――所有されて初めて、名前を与えられる。
俺がそんな大層な立場になれるとは露ほども思っちゃいないが、何もないよりはマシだろう?
「……もう一回……もう一回呼んでください!」
「……ミヅキ?」
「はい! ……あの、もう、一回だけ……」
おずおずと強請ってくる姿に、仕方ないな、と言いたいのがバレバレなトーンで「ミヅキ」と呼んでも、彼はひどく嬉しそうに目を細めて笑った。
「嬉しい……嬉しいです、遼太郎さん……」
幸せな夢を見ているかのような、蕩けた声音と瞳でそう言いながら、俺にそっと寄り添ってくるミヅキ。なんだか、非常に気恥ずかしい。だが、少し考えて、エネルギー切れが近いのだろうか、という可能性に思い当たった。
「……もしかして、また腹減ってる、のか?」
昨日の時点では、最後だと言い含めた例の行為だけれど、こいつを手元に置くと決めた以上、避けては通れないものになる。苦手なことに変わりはないが、許容する程度の覚悟はある。
ミヅキは問いに対し小さく頷くと、もじもじしながら俺の方を見上げ、予想外のことを言った。
「……ええと、きちんとお伝えしていなかったんですけど……精液をいただく以外でも、エネルギーの補給は可能なんです」
「は!? じゃあ、なんだってわざわざ、あんな恥ずかしい真似……!」
「あああ、ごめんなさい! ごめんなさいっ! でも、その……他の手段だと、キス、とか……そういうのになってしまう、ので」
そう言うと、目をぎゅっと瞑って頬を真っ赤に染めるミヅキ。いやいや……キスよりフェラの方が、余程恥ずかしいし覚悟がいらないか……?
「あー……その、なんだ……するか? キス……」
「は、はい……でも、いいんですか? 遼太郎さん……ぼくとおんなじ気持ちかどうかは、まだわかんないって……」
……なるほど。確かにキスとは得てしてそういうものだ。相思相愛の関係の下に、交わされる行為。確かにこれでは、あまりに不実というもの。だがしかし。
「俺が……お前のためになるなら、してやりたいなって、思うんだけど……やっぱ、それじゃダメか」
「だっ、ダメじゃないです! ぼくも、その……遼太郎さんと、キス、したい……」
濡れた瞳が、ごく近い距離で俺を見つめる。夜のガラス窓に映るように、自分の姿がそこに溶け込む。
自然と互いの顔が近づいていき、それに伴ってミヅキがゆっくり目を閉じる。月が雲に隠れていくようだ。倣って俺も目を閉じる。見えない中で唇同士を触れ合わせることなど出来るのだろうかと一瞬思ったが、なんとか上手くいった。
他人のそれに触れるのは、生まれて初めてだった。性交渉は、訳あって一応の経験らしきものがあるが、キスはこれまでしたことがなかった。
「(柔らかい……)」
元々、ミヅキは触れたらどこもかしこも手触りの良さそうな姿をしているけれど、実際に自分で触れてみるというのは、想像以上に心地が良いものらしい。彼の唇を食むように自分のそれを動かすと、ミヅキの肩がぴくりと跳ねた。
「……ん、ふ……」
ミヅキが鼻にかかった声を漏らしながら、俺の唇を子猫がミルクを飲む時のような力加減でぺろりと舐める。ああ、そういうことか。
俺は薄く目を開けると、ミヅキの僅かに開かれた唇の隙間から舌を挿し入れ、咥内の彼の舌に重ね合わせるように絡めていく。動作がたどたどしい自覚はあるが、容赦して欲しいものだ。
「んんっ、う……ふ、はぁ……」
甘い声がぽろぽろと零れるのを聞いていると、なんだか妙な気分になってくる。
ミヅキは俺の服をぎゅっと皺になりそうなくらい握りしめて、キスを享受している。ふたり分の唾液――ミヅキのは厳密に言えば違うのだろうけど――が混じり合ったものが、彼の口端から溢れるのが見えた。白い喉を上下させて、ミヅキがそれを嚥下する。
俺は、彼の体をより自分の方へ引き寄せるように抱き込んだ。それに伴い弓なりに反ったミヅキの背中。体勢が苦しくなったのか、喉の奥で呻く声が上がり、華奢な肢体がふるふると震える。
「わ、悪い……苦しかったか」
「ぁ、は……だい、じょぶ、です……」
慌てて口を離して問い掛けた。平気だと言う割には、ミヅキは顔を真っ赤にし、荒い呼吸を繰り返していて、不安になる。アンドロイドだからこそ、負担になる行為もあるのかもしれないし……。
「……へいき、です……。その、きもちいい、と、すぐこうなっちゃうんです……」
セクサロイドだから、と小声で付け加えられれば、そういうものかと納得せざるを得ない。くたりと俺にしなだれかかったミヅキが、熱を帯びた声音で囁く。
「……もっと……きす、してほしいです……りょうたろうさん……」
…………ああもう。
その後、いい加減疲れたと俺が音を上げるまで、キスを強請られ続けた。
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