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「いいのが買えて良かったですね!」 「ああ」  服の入った紙袋を抱えて、ミヅキは上機嫌だ。跳ねるように軽やかな足取りで、俺の数歩先を進んでは、くるりと方向転換し、俺の隣に戻ってくるのを繰り返している。  どこかで少し休もうかと、場所を探す俺の視界に、ふとクレープ屋が映る。 「……なあミヅキ。お前って、ああいう、ヒトの食べ物は食べられないのか?」 「いえ、エネルギーとしては使えませんが、摂取して内部で分解処理することは構造上可能ですよ。味覚も存在します。ぼくらのようなものを所有される方の中には、食卓を共にすることなどを望まれる方もいらっしゃいますので」  空腹が満たされる訳ではないのですけどね、と述べるミヅキに、俺は「今夜からは一緒に食事を摂らせよう」と固く誓った。  ミヅキを、ちょうどクレープ屋が見える位置にあったベンチに座らせると、俺は店へと足を向ける。 「ちょっと待ってろ」  クレープ屋のメニューは、普段こういうものを口にしない俺にとっては、種類が多すぎて何を選ぶべきか戸惑った。とりあえず、スタンダードであろうバナナに生クリームとチョコソースのトッピングがされたものを選んで購入し、ミヅキの元へと戻る。 「おかえりなさい、遼太郎さん。それって……」 「そこそこ歩いたし、疲れただろ? 少し休憩しようぜ」  そう言ってミヅキにクレープを手渡した。彼は、恐らく初めて目にしたのだろうその食べ物を、矯めつ眇めつしている。 「あの、ぼくが食べてもいいんですか?」 「そのために買ってきたんだよ」  恐る恐る、といった様子で、ミヅキがクレープに口をつけ、ごく少量を口内に含む。何度か咀嚼する最中、何かに衝撃を受けたかのように目を瞠った彼は、次の瞬間には夢中でそれを食べ始めた。 「わ、わあ……! なんですか、これ……甘くて、やわらかくて……美味しい! 美味しいです、遼太郎さん!」 「そりゃ良かった。……あ、おい、口の端にクリーム付いてんぞ」  にこにこと満面の笑みを浮かべるミヅキの口端に、生クリームが付いているのを認め、咄嗟に指先で拭って舐め取った。だがしかし、そのすぐ後に自分がいかに恥ずかしい行動に出たかに気づいて、慌てて言い訳しようとしたものの、後の祭り。目の前には頬をイチゴのように鮮やかな赤に染めたミヅキが居た。 「…………悪かった」 「い、いえ! いいんです! む、寧ろ嬉しかった、です……」  後半になるにつれ、小声かつ早口になるミヅキ。握られたクレープの生クリームが、彼の温度で溶け出しそうになっている。  少しして、多少の落ち着きを取り戻したらしいミヅキが、食べかけのクレープをそっと俺に向けて差し出した。 「……あの、遼太郎さんも、ひとくち、いかがですか?」  突然の出来事に、俺は反応出来ず固まった。これはもしや、カップルがよくやるという「アレ」ではないのだろうか。それをこんな往来で? 誰が? 俺が?  どうするのがベストなのかと俺が頭をフル回転させていると、クレープを持ち上げているミヅキの顔が、だんだん曇ってきた。寂しそうに眉を下げ、「もしかして、甘いものはお嫌いでしたか? ごめんなさい……」と下ろされかけた手を、俺は咄嗟に掴む。 「あ、いや……悪い。急なことで頭がついてこなかっただけだ。……もらうよ、ミヅキ」  そう言うと、瞬く間に表情が晴れやかになるミヅキ。いそいそとクレープを持ち直すと、改めて俺に向ける。 「はいっ、遼太郎さん! あーん」 「ん……」  大変に恥ずかしい思いをしながらも、俺はそれにかじりついた。正直味なんてまともにわからない。やたらに甘いような気がするだけで。 「えへへ……間接キス、ですね。デートみたいで、どきどきします」  ミヅキは蕩けきった笑顔で言いながら、再びクレープを食べ始めた。爆弾だけ投下して次の行動に移るのはやめて欲しい。  俺は暫しの間、何も言わず彼がクレープを食べ終えるまで見守っていた。無邪気な横顔が大層幸せそうに見えたから、それだけで今日という日の意義はあったと思うのだ。 ***  帰りもしっかりと手は繋がれたまま。もうモールほど人は周りに居ないけれど、お互いそのことには触れない。  左手に服の入った紙袋。右手にミヅキの手。まだ浮かれているのか、どこかふわふわと危なっかしい足取りの彼を、車道とは反対側を歩かせ家路に就く。  今日一日をミヅキと共に過ごしてみて、改めて思ったことがある。――こいつ、俺のこと好きすぎだろ。 「なあミヅキ。ひとつだけ、聞いていいか?」 「はい、なんでしょう?」 「お前さ……なんでそんなに、俺のこと好きでいてくれんの」  足こそ止まらなかったものの、隣を歩く彼の空気は固まった。何やら狼狽えている様子から、恐らく口にしていい内容かどうか悩んでいるのだろう。 「今更、何言われたところで驚かねえよ……」  そもそも、初対面でアレだ。お互いの感情とか、一般常識とかそっちのけで、あらゆる段階をすっ飛ばした行為に及んでしまっているのだし。本当に今更なのだ。 「……手、が」 「手?」 「手が、温かかったんです」  ぽつりぽつり、ミヅキが話し出す。  俺たちが初めて出会った日、マキナ・カンパニーでの出来事のことだ。 「繋いでくれた手が、温かくて。……あの日、大人しく部屋で待っているのが退屈で、抜け出したのはいいけど、社内が広くて迷っちゃって。不安だったぼくの前に現れたのが、あなたでした」  逃げ出すのは前からの癖なんだな、と思ったけど言うのはやめた。尊い思い出をなぞるような瞳で、遠くを見ているミヅキの邪魔をしたくなかったし、俺ももう少し、彼の心地良い声で紡がれる話に耳を傾けていたかった。 「あの時にはもう、行き先が決まっていたけれど……思ったんです。誰かのものになるのなら、こんな風に優しいひとのところに行きたい。誰かを恋い慕うのなら、あなたのように温かいひとがいい、って」  俺を見上げて、ミヅキが微笑む。  ゆっくりと二人歩く帰り道は、沈みかけの夕陽に照らされて、オレンジに染まっている。フードの裾から覗く美しい髪が、その色を吸い込んできらきらと輝いていた。きれい、だ。 「……大好きですよ、遼太郎さん。あなたに逢うために、ぼくはきっと生まれたんです」 「ミヅキ……」  足を、止めた。  不思議そうに俺を見上げるミヅキの頬に手を伸ばすと、何かに気づいたのか、小さな肩がひくりと跳ねる。  彼が俺を待つように目を閉じるのを見届けると、俺はゆっくり顔を近づけ、ミヅキの唇に自分のそれを重ねた。触れるだけの、キス。  時間にして十秒も経っていないと思う。俺が離れるのに合わせて、ミヅキも目を開けた。顔が熱い。きっと赤くなっているだろう頬は、この夕陽のせいにしてはもらえないだろうか。  自分から、キスがしたいだなんて思ったことが、まだ信じられなくて。それでも体は、頭で考えるより先に行動に移してしまった。 「……ごめん……」 「え!? なんで謝るんですか!? ぼくは嬉しかったですよ!!」  そうは言っても、昨日「適当な返事は出来ない」とか言っといてこれかよ! という、良心の呵責のようなものがある訳で。  ミヅキは繋いでいた手を離すと、代わりに俺の右腕に抱きつくように自身の両腕を絡めてきた。そのまま歩き出した彼に引きずられるみたいに、俺の足も自然と前に出る。 「……なあ、歩きにくいから、少し離れ――」 「嫌です。今すっごく、遼太郎さんに甘えたい気分になりましたので」  言い切る前に断られ、俺は諦めて溜め息をひとつ吐く。  嬉しい、という感情がだだ漏れになっているミヅキ。すっかりこいつのペースに乗せられている気がしてならない。

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