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「おはようございます。十倉様。本日は、どのようなご用向きでいらっしゃいますか?」
晴天である今日よりも晴れやかな笑顔と声で俺を出迎えたのは、あの日と同じ受付の女性。俺の名前を覚えてくれていたらしい。……或いは、俺がここに来ることを、知っていたのかもしれない。
「あいつを、迎えに来た」
「アポイントメントはお取りですか?」
「無い」
短く答えて、カウンターの内側でにこにこ笑っている女性の横を通り抜け――ようとしたら、素早く腕を掴まれた。
弾かれたように女性の方を向く。恐らく、ひどく苛立った目つきをしているだろう自覚はある。けれど彼女は、その完璧な笑顔をひとかけらたりとも崩さずに、ただ俺の進入を阻んでいる。
「っ!」
腕を振り払おうとしたが、びくともしない。なんだよこの人、力強すぎないか!?
「離してくれ、俺は……!」
「申し訳ございません十倉様。アポイントをお取りではない以上、この先にお通しする訳には参りません」
くそ、こんな所で足止めを食らっている場合ではないのに!
先程から、ロビーを通りすがる人々に何事かと視線をちらちら向けられ、とても居心地が悪い。
なんとか彼女の拘束を振りほどこうと藻掻いている俺と、細い腕一本でその動きを封じている彼女。抜き差しならない攻防を続けること数分。いい加減俺の方が疲れてきて。
「(ああもう、どうする!? こんなことしてる間にもミヅキが――)」
彼が、永遠に俺の手の届かないところに行ってしまうかもしれないのに。
そこへ、あの軽薄で忌々しい――けれどけして愚かしい雰囲気ではない――声が聞こえてきた。
「……あ~、もういいよ、ニノ。離してあげて」
「はい、かしこまりました」
「うお、っ!」
この騒ぎを誰かが報告でもしたのか、いつの間にやら奥から姿を現していた神宮寺が声を掛けると、ニノと呼ばれた女性はあっさりと俺を解放した。ちょうど腕を自分の方へ向けて引いていたところだった俺は、その勢いで後ろにひっくり返りかけた。この野郎。
「……で、一応聞くけど……君は何をしに来たのかな? 十倉くん」
「決まってるだろ。ミヅキを、迎えに来たんだよ」
「へえ。……じゃあ、ボクが納得するような答えが用意出来た、と思っていいのかな?」
それは、わからない。彼が俺にどんな言葉を求めているのか、俺には知る由もないのだから。
けれど、語るための言葉は用意してきたつもりだ。昨日一日中考えても、それしか浮かばなかった。
「……俺はさ、好きとか愛とかの、肉欲を綺麗な言葉で飾り立てただけのような言い方が、嫌いなんだよ。だから、あんたが前に言ったみたいに、あいつのことを「愛してる」かって聞かれたら……それに頷くことは出来ない」
そもそも、過去のこともあって、そういう感情を解することを放棄してきた俺には、どんな想いがそう呼べるものなのかが、わからないのだけれど。
「――でも、あいつが……ミヅキが居ないと嫌なんだ。今までずっと独りだったのに。見送りの言葉も無い部屋から出掛けて、明かりの消えたそこに帰る。それが、当たり前だったのに……」
たった数日で、そんな日常がすべて覆ってしまうなんて思いもしなかった。今更、あいつの居ない部屋に帰る気になんて、なれない。
「俺はミヅキのことを、もっと……知りたいんだ。もっとそばに居て欲しいし、自分から触れてみたいと、思う。あいつのこと、近くで見ていたいんだよ」
人はこんな感情をなんと呼ぶのだろう。なあ、お前がわかってるのに、俺にはわからないことばっかだよ、ミヅキ。
「……それだけじゃ、ダメか? あいつの手をもう一度掴むには、足りないか?」
情けないことに、俺は泣きそうな気持ちだった。ここに来るまで色々考えていたことは、ほとんど言葉に出来ていない。
神宮寺は一切口を挟むことなく、今まで俺の話を聞いていた。
「……言いたいことは、それで全部?」
切れ長の双眸を細めて、目の前の男が言う。
どう見ても、納得している表情ではない。
ダメだ、諦めるな。何か言わないと、何か――。
「――っていうことみたいだけどさ、君はほんとに良いの? こんな男で」
「はい。……初めから、ぼくにはこの人しか居ませんよ」
「……っ!!」
たった一日聞いていないだけなのに、随分と久しぶりに耳にした気がする、甘く柔らかな声。
「ミヅキ……」
「遼太郎さん!!」
果たしてそこにはミヅキが居た。衣服の裾や袖を折り曲げた、少し不格好なその姿。彼と離れた時に、身につけていた俺の服だ。
ミヅキはカウンターの横を駆け抜け、俺の方へ一直線に向かってくると、その勢いのまま抱きついてきた。見た目以上に重さを感じるタックルに、受け止めきれなかった俺は尻餅をつく。
「わああ! ご、ごめんなさい……! お怪我はありませんか!?」
「あ、ああ、平気……。ちょっとよろけただけだから……」
こんな些細なやり取りさえ、懐かしくて堪らなかった。座り込む俺に乗り上げたままのミヅキが、はにかんだような笑みを浮かべるのを見て、胸の奥が締めつけられるような気持ちになり、思わず彼の肩口に額を押しつける。
「り、遼太郎さん?」
「悪い、少しだけこうさせて……」
知っている温度。そのことにひどく安心する。
そんな俺の感慨を吹き飛ばすかのように、神宮寺が声を上げる。
「ちょっとちょっと~。人のことそっちのけでいちゃつくのやめてくれない!? その前に、ここどこだかわかってる?」
ハッとして俺は顔を上げ、辺りを見回した。来客から職員まで、ロビーを通るところだったのだろう人たちが、隠しきれない興味を孕んだ瞳でこちらを遠巻きに見ていた。……マジかよ。
「はあ~……。とりあえず立ってもらって良い? 邪魔になるから」
「……すいません」
とんでもなく恥ずかしい。穴があったら入りたいとはこのことだ。
俺とミヅキが立ち上がるのを待って、神宮寺は大きな溜め息をひとつ吐くと、仕切り直しと言わんばかりに俺たちを見据えた。
「……さて。ここに一組の書類があります」
すいと持ち上げられた指には、いつの間に手渡されたのだろうか。一番上に「契約書」と書かれ、後は細かい文字でびっしりと埋められた、紙が数枚セットになったものが摘み上げられていた。
「これを~…………こうじゃ!」
それはもう高らかに叫んだ神宮寺が、手の中の書類を縦に真っ二つに引き裂く。紙の向きを変えてさらにもう半分。四つ切りになったものを、とどめとばかりに細切れに破きながら、彼はそれを床へとばら蒔いた。もう、本来の役割は果たせそうにない。
「な、何やってんだあんた……」
「あーあ。大損だよ~! ほんと、お偉いさんってのは大変だよね~」
「……社長、今のって、もしかして……」
ミヅキが、何かに気づいたかのように紙屑と化した書類を、震える指で示した。
それに対し、にんまりと笑った神宮寺が、事も無げに言い放つ。
「そ。イイ勘してるね~。……君の売買契約書だよ、ミヅキ」
「……はああ!?」
頓狂な声を上げたのは俺の方だった。だって、お前。
けれど肝心の神宮寺はと言うと、ばらばらに散らばった書類(だったもの)を、ニノさんがどこからともなく持ってきた箒で掃いているのを暢気に眺めている始末。
「だって、しょうがないじゃない。君はミヅキを渡したくない、ミヅキは君以外に所有されたくない。こんな状態で無理矢理引き渡ししたところで、トラブルの先送りにしかならないでしょ」
確かに、散々周囲の注目を集めながら、ミヅキを返せとあれこれ恥ずかしいことを言ったしやったのは俺だけれど。
「そんな簡単に解決出来るもんなのかよ……」
「そりゃあ、簡単な訳ないけど? それもボクの仕事ですし?」
あっけらかんと言ってのけ、神宮寺は先日のように肩を竦めてみせた。この思い切りの良さも、彼がここのトップたる所以なのかもしれない。
しかし、彼はすぐに表情を引き締め、俺とミヅキを交互に見る。
「十倉くん。わかってると思うけど……その子を、他の人間から奪ってでも手元に置くって決めたのは、他ならない、君だよ。ボクが手塩に掛けた子供をさ、こんな形で連れ去っていくんだもの。当然――」
――幸せにしなきゃ、許さないよ。
今までに聞いた彼の言葉の中で、最も重みを感じる言葉だと思った。それと同時に、ミヅキがこんなにも真っ直ぐで愛情深い理由もわかった気がした。
この大きな箱庭でミヅキを、さらには彼のようなアンドロイドたちを生み出し、育ててきたのだろう彼に、そのような言葉を頂戴するというのは、とても誇らしいことのように思えた。
「……約束します」
俺は、彼の顔を正面からしっかりと見据えて、そう答えた。
「……まあ、君の行動なんて半分くらいは筒抜けなんだけどね? 浮気なんて出来ると思っちゃダメだよ~! ……君そういうタイプには見えないけど、一応」
「!? ちょっ、ちょっと待て、話が飲み込めない」
「あ~……もしかして、その辺も誤魔化してたね? ミヅキ」
ミヅキの名前が出たので、隣に立つ彼へと視線を向ける。すると、彼はあからさまに俺から目を逸らした。どうやら言う気はなさそうだ。
「十倉くん、その子と初めて会った時、何か貰わなかった?」
言われて、ポケットに入れてきたドッグタグモチーフのペンダントを思い出す。ミヅキ曰く、初期化パスワードが刻まれているというもの。
取り出したそれを見てみても、何の変哲もない、薄いシルバーのプレートにしか見えないが……。
「そう、それそれ。……そのドッグタグはね、文字通りの「迷子札」なのさ」
神宮寺の説明によると、プレートの中にはICチップが組み込まれていて、GPS機能が搭載されているため、俺が持ち歩けば居場所がすぐに特定出来るのだとか。さらに、チップ内のメモリに所有者の個人情報なども書き込み出来、この会社内にある専用機器でその内容を読み取ることが可能らしい。
「元々は所有するアンドロイドとセットで使うものでね。こっちも取引相手は選んでるつもりだけど……おかしな奴にうちの子を渡すわけにはいかないでしょ? 監視というよりは、抑止力に近いけどね~」
――ミヅキが君の元へ辿り着けたのも、そのタグのGPS情報を追ったからじゃないかな?
図星なのか、ミヅキは相変わらず黙りこくっている。
「勝手に社のシステムを使った挙げ句、メンテナンスルームに移動する隙を突いて逃げ出しちゃうんだもの。ほんと参ったよ……」
彼の言うことはすべて事実なのだろう。現に、ミヅキはいたずらがバレて泣きそうな子供みたいな顔をしているし。
「……ミヅキ」
「はい……」
「お前は俺に対する説明責任があると思う」
ミヅキの話はこうだ。神宮寺の言うとおり、俺が持ち帰ったタグのGPS情報のログからアパートを特定――あの日はポケットにペンダントを入れたまま帰宅したのだ――し、あのゴミ捨て場までやってきたところで、エネルギー切れを起こして倒れていたらしい。
あの時偶然通りがかったのが俺だったから、今このような状況になっているけれど、一歩間違えれば意図しない相手に拾われていた可能性があるのでは……? 或いは死体騒ぎで警察沙汰か。
「……ぼくは結果としてあなたに逢えました。でも……本当は、遼太郎さんのお名前もお顔も知ってたのに、何も知らない振りをして。自分の整備不良のことも、隠していました……」
懺悔するミヅキの声はだんだん涙声になっていく。
「ごめんなさい、こんな、騙すみたいなこと……やっぱり、ぼくのこと嫌いになり――」
「あー、待て待て。そういう過ぎた話をするのはいい。今更、どうにもならないことだろ」
今にも泣き出しそうなミヅキが、俺を見上げる。
確かに、色んなことを誤魔化して俺の元に転がり込もうとしていた、というのはいただけない。だが、結局はもう終わったことなのだ。
俺はもうこいつと暮らすって決めてしまったし、俺といるために手段を選ばない姿勢に絆されてしまったのも、事実なのだろうから。
「……だいたい、会ったその日にあんな真似しといて、印象なんか最悪以外の何物でもなかったのに、ここまで関係が変わったんだから。お前、頑張ったと思うぞ。……まあ、今後はそういうのはやめてくれ」
それを聞いて、ミヅキは感極まった様子でぶんぶんと何度も首を縦に振った。小さな手が、俺の上着の裾を皺になりそうなくらい握りしめている。
「……まあ、この件については、うちにも責任の一端があるしね~。……ニノ、最初から見てた癖に黙ってたよね?」
「うふふ。必死なミヅキちゃんが可愛くて、つい。私は恋する子の味方ですもの」
話を振られたニノさんは、特に気にした風もなくころころと笑った。そういえばこの人、あの日受付で俺たちのやり取りを見ていたな……。渡されたペンダントが何のためのものか、彼女も気づいていたのだ。
「も~……。入口の警備は君に一任してるようなものなんだから、何かあったら報告してくれないと困るよ! 君「報連相」って知ってる?」
「あらあら、緑のお野菜でしょうか」
「君、わざと言ってるでしょ……」
神宮寺と彼女のやり取りが、社長と受付嬢のそれにはとても見えない――見た感じ年齢が近そうなのを差し引いても――ので、俺はつい怪訝な顔をしていたのだろう。神宮寺が補足するように言う。
「ニノは、その子と同じアンドロイドだよ。ついでに言うと、こないだ君の家に行った時に連れてた三田村もね」
「マジかよ……」
どう見ても人間にしか見えないようなアンドロイドがぞろぞろ出てくるこの会社、世間で知られている以上の技術を秘匿しているのではないかという気がしてならない。
でも、その話を聞いて納得した。道理で、俺は彼女の腕を振りほどけなかった訳だ。
「……さて、ボクの会社がすごいということを知ってもらったところで、そろそろお引き取り願おうかな? 随分と人目を集めてしまったし、この子の契約相手だった人の対応も考えないといけないからね」
浮ついた雰囲気を瞬く間に霧散させ、仕事モードに戻った神宮寺が真面目な顔で言う。そうだ、そうだった。
「あ、その……俺、そんなに稼ぎがいい訳じゃないけど、ちゃんと――」
「ストーップ。いいよそれ以上言わなくて。……君みたいな人からお金取るほど、うちの会社困ってないし」
にべもない。いや、金を払わなくて良いというのは助かることには助かるのだが、俺の気持ちの問題だ。
「君にして欲しいことなんて、実にシンプルだよ。その子を大切にすること。それだけ。まああと、定期メンテには来て欲しいかな」
「……わかった」
俺は首肯する。
いつの間にか俺の手を掴んでいたミヅキの顔を一度見て、それからふたり並んで玄関へと向かう。カウンター正面の大きな自動ドアに差し掛かったところで、神宮寺が思い出したように声を発した。
「あ、そうだ! 無用なトラブルは避けたいから、早めに“適合”は済ませておいてね~! 詳しくはその子が知ってるから!」
前にも聞いたが、結局説明を受けていなかった謎のワード。ミヅキが知っている、と言った際の意地の悪そうな笑みが引っかかったが、問う前に手を引かれ「帰りましょう。……その話は後でしますから」と言われてしまえば、従うほかない。
俺は黙って、マキナ・カンパニーを後にした。
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