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凋落の残り香 ※
monogatary.comからの転載
お題「キンモクセイ」
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石鹸で手を洗うと、肌が突っ張る感じがする。女子には多いようだ。男はどうなのだろう。ただ、周りの男たちがそう言っているところは聞いたことがない。ハンドクリームも塗らない。関節なんかに赤い筋が浮き出ていることや、爪の付け根の辺りが白くなっていても。男はハンドクリームを使わない。
俺が石鹸で手を洗うからいけないのだろう。他の奴等ときたら水洗いか洗わないか。ただそれは我慢ならない。何か触ったら、すぐに洗いたくなる。潔癖症というわけではないけれど、神経質な自覚はある。
だから俺はハンドクリームを使うのを恥ずかしく思って、こそこそ隠れて塗っていた。
孤独は嫌いではないが、揶揄われるのは好きじゃない。それが性別についての資格を問うものなら尚更。
秋と冬は、石鹸を使おうが使わなかろうが、手を洗おうが洗わなかろうが手の皮膚が突っ張る。俺はこそこそと机に隠して手の甲に無香料のハンドクリームの塊を乗せた。教室の隅に置かれた加湿器では太刀打ちできない。
無香料といっても完全に無臭というわけにもいかず、俺の手にはクリームの匂いが染みついた。その中に甘い匂いが混ざるから驚く。
「便所の匂いじゃねぇから!」
俺はクラスで騒がしいやつを咄嗟に見てしまう。机に座ってるのが汚らしい。自分の手の匂いを嗅いでへらへら笑っている。黄色ともオレンジともいえない小さな箱が傍に倒れている。
「キンモクセイだってさ。あの子とおんなじ匂いだ」
あいつは、電車だったかバスだったかで一緒になる他校の女子に惚れているらしい。偏差値も市内一で制服も可愛らしく、校則もうちみたいな自称進学校みたいに厳しくない。なにより女子校だ。いわゆるお嬢様学校というやつは憧れの的になる。
「オレもう手、洗わね~」
汚いな、と思った。机の上に乗る、床に寝そべる、人前で髪を掻く、それも傷んでぱさついていて、回し飲みもすれば、人が使った箸にも頓着がない。
汚い。今後の人生でオレとあいつが関わることはなく、オレもあいつとは関わりたくない。
――……と思っていた数年前。
記憶は嗅覚に結びついて、そうなるとあの時の情景がありありと浮かぶ。
あのキンモクセイのハンドクリームの匂いは再現度が高かった。
『あ、なぁなぁ、キンモクセイの匂い!いい匂いだろ?便所の匂いじゃねぇよ?』
あいつは俺の視線に気付いて手を近付けた。
『キンモクセイは、自然の匂いが一番だろう……』
俺はびっくりして、そういうつもりはなかったのに、素気無いどころか否定的なことを口にしてしまった。あのときの匂いが、今目の前にある。そういう季節だった。
ふと一瞬、吹いた風に馴れ初めを思い出して、そこから結びついた温もりと愛しさが甦るのに、抱き寄せて温 まるあいつはもういないのだ。
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1200字弱
2022.9.26
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