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Fatal ※

monogatary.comからの転載 お題「やり残し」 ***  食器は新聞紙に包んで、水切りごともう一度新聞紙に包んだ。プラスチックの衣装ケースには縦にテープを貼ったから移動中に開きはしないと思う。テーブルの脚を折り畳んで、それからコピー機とPC……  2年契約のアパートだが、長く住んでしまった。内見に来たときの殺風景な部屋が、恋しい場所に変わって、今はまたあの時と同じ部屋になっているのに、違って見えるのは人の慣れ、人の情の現金なところなのかも知れない。あの初めて見た時の感慨も今は思い出せない。  俺に人生の計画、予定なんてものは有って無いようなものだった。漠然としている。義務教育が終わったら高校、大学、あるいは就職。とりあえず高校を出て、俺が選んだのは大学進学だった。それからその地で就職、結婚、家庭を持ち、孫ができて、定年後は妻と小旅行。そして寿命。  それがオーソドックスで、理想で、多くの者が選択し、もしくはそれ以外の発想がなかったが故の仕合わせ。  どこで漠然とした俺の人生の予定が鮮明になった?そして鮮明さを持ったがために曖昧になってしまった?  高校を出て、大学進学。そして卒業、就職。悪くなかった。  出会ってはいけない人間というのがいる。犯罪者でも危険思想の活動家でもなく、人に甘い夢をみせて去っていく人間だ。  人生などは漠然としていて幸せなものなのに、そこへ具体的な目標を持たせる。計画を。甘い、甘い、歯の溶けそうな、冬の布団みたいなシアワセナユメを。  毒されてしまった。ワードチョイスも価値観も。夢をみさせて、しっかり肌や目蓋の裏に遺っていく。爪の立て方だとか、寝顔のマヌケさだとか、笑うと歯並びを見せてくるところとか。イヌみたいなはしゃぎ方で、ネコみたいに擦り寄ってきて、俺がドブに落とされるところだとか。    俺の漠然とした人生計画に妻も子も孫もない。これらは爆誕もしない。結婚に憧れはないが恋人なら欲しいというこもない。就職にこだわりもない。シアワセへの舵取りはあれもこれも変わってしまった。  立ち止まってみるか?振り返って?  ひとつ知れたことは、今後誰と出会おうが、箸だの茶碗だのはひとり一つ専用にしないことだ。  やがて引越し業者のトラックの音がした。 「じゃあ行こうか、――……」  今は空になっているが、2人で暮らしたアパートだ。あいつも恋しく思うだろう。どうせこれからの人生にまた詰めていくことになるのだけれど。あいつの生まれた土地で。 *** 990字弱 2022.10.5

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