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夜明けまで ※
monogatary.comからの転載。
お題『「こんにちは」で終わる物語』
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人には心があって執着する。そこに合理性はなかったり、無意識の刷り込みが無自覚に、直感的に現れたり。
感情を割り切れたらいい。思想に染まってしまいたかった。信じるなんて言葉は要らない。信じる信じないなんて疑念も割り入る隙もないほど。いなくなった人間を追っても仕方がなくて、俺たちは進化のための繋ぎでしかなくて、幸せを探すことに意味なんかなくて、生まれて死ぬのを別個体で、何千回、何万回、何億回と繰り返さなければただの過程にすらもなれないって。そこに幸せだの感情だのは無駄だと。そうなのか、と諦めても、それでもそうは生きないと決められたら。
人間には業がある。どうにもならない、どうにもできない業がある。効率、生産性、整然性、そんなものより優先してしまいたくなるものがある。逆も然り。感情を殺してでも叶えなければならないことが、たまには。
これは彼ではない。分かっているけれど、頭で分かっているから、顔、形、背丈、声……彼とそっくりそのまま同じこのロボットに、今はすべて寄り掛かってしまいたい。俺の自己満足の捌け口になればいいのだ。だってこれは彼ではないから。
俺はロボットを作った。手で覚えている彼の肉感、耳で覚えている彼の声。鉄の匂い、ゴムの匂い、シリコンの匂い。これは彼ではないと、鼻と理性で分かっていればいいのだ。
「こんにちは」
俺を見て笑え。笑うときは歯を見せろ。目元は細めるんだ。頬の動きはそうじゃない。靨 はどうした。
滑舌はもっと悪い。声は近付けられたが、もっと間伸びして上擦った言い方をする。
喋らせないほうがよかった。笑わせないほうがいい。歯並びも歯の形も似せたのに。
どれもこれも記号だった。思い込みだった。笑顔も寝顔も上手く思い出せない。おそらくは瞳孔が開いてまともに見れてはいなかった。それか彼の目が眩しすぎて。彼の肌が、髪が、口元が。
何を以って俺は彼を彼としたか。分かるか、そんなもの。プールの匂い?制汗剤の?柑橘臭い安物シャンプー?
何を以って俺は彼を……
鉄人形を抱いて眠る。
彼の手が俺の髪を撫でて、寝た頃になってちょっかいを出す。冬は布団をすべて持っていかれて。夏は布団を押し付けられる。ベッドから蹴落とされて。
人は不可解。誰より近しくなれた気になっても。
声が聞こえた。甘やかな夢だと知ってるけれど。あのふざけた挨拶が。
――おはこんばんにちわぁ~
***
980字強
2022.10.5
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