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お襷ください。 ※
monogatary.comからの転載。
お題「襷」
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小難しそうな本を珍しく読んでいて、傍にあるマグに入っているブラウンはコーヒーにでも見立てたココアだろう。彼はコーヒーを飲まない。コーヒーゼリーはポーションミルクをかけて食べているし、コーヒー牛乳のほうはよく飲んでいる。
子供舌だが年相応に振る舞おうとする姿がかわいく思える。こうして小難しい本を読んで、コーヒーに見立てたココアを飲む。そういう意識の高そうな丁寧な暮らしをしている動画を観たのだろう。影響されやすいが、それに振り回されるのも嫌いじゃない。動画の主を真似して掛けている、黒縁の大きな眼鏡も似合っている。
「これなんて読むん?」
彼はあまり漢字が得意ではないから、読みや意味を訊かれることはよくある。
それが煩わしくはなくて……むしろ……
彼が指差した漢字は確かに難しかった。衣編に「挙」の旧字体。
「た、――……すき」
だよな?
スマートフォンは充電中。
ここでかっこいいところを見せたいのも本音だ。彼には。だって俺は、彼を……
「は?」
大振りな眼鏡の奥で、彼の上目遣い。
「た、……――すき」
ドキッとすれば心臓は焦り、かわいいの不意打ちを喰らえば動揺もする。俺は舌を噛んだし、喉が痞 えもする。
「え?なんて……?」
「た、た、たすき……」
彼はあんぐり口を開けて、変な顔をして俺を見ている。いいや、変なものを見ている顔、だ。そういう眼差しもまたかわいくて俺にサさる。
「……?」
「着物の袖が垂れているだろう。時代劇で財布を出すところ……あれが邪魔だから、結びつけておくんだ。あとは駅伝で……」
「いや、それは分かっケド……」
俺はドン引きされている?少し衒学 的だったか?知ったかぶったつもりではなくて……少しでも彼の役に立ちたかった。これは本当だ。できるところを見せたいのも本音だが、俺の知っていることは、彼の役に立てばいい。
「何か、俺が……」
「コクられてんのかと思ってビビった!わしゃしゃ!」
彼は豪快に笑った。俺の胸は早鐘を打っていて、安堵との狭間で少し苦しい。呼吸が乱れる。
「読み方、分かったか……?」
ちょっと嫌味っぽいだろうか。
「分かったよ、たすきだろ、たすき!」
すきすき言わないでくれ。
「今日すき焼きにしようぜ!牛高いから豚でな」
鋤鍬 、指宿 、その他、熟語、諺 、固有名詞、あらゆるものに、俺は動揺して生きていくのか……
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2023.1.5
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