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花見日和の雨和見主義 ※

monogatary.comからの転載。 お題「お花見日和」 ***  生憎の雨。俺みたいなのにはお似合いだと思う。どんより冪冪(べきべき)したグレーの空に、薄紅というにもまだまだもっと淡い紅色がもくもく散らずに頑張っている。最高の花見日和だと思わないか?   青い空、白い雲、朗らかな風、麗らかな太陽?その下で眺める桜雲?  美味いものに美味いものを掛け合わせれば美味くなる。本当だろうか。胃もたれがしたりはしないのか?結局混ざるといったって、人には感覚がある。感情もある。常に。憂鬱なほど。手に余るほど。それを愉しんでいたりして。  俺の視界に横たわる極淡い、白に近いほどのピンク色は公園の空を占拠しているくせ能天気で不気味だ。あんなに薄いのに、白と認識しないのは俺があれを桜と認識しているからか。或いは、そもそも、さくらさくらと散り際を褒め称えてるDNAが先で、それを代々色濃く受け継いでいるからか。いやいや、俺の目がひねくれているのだ。あれはもしかしたら明らかにピンク色なのかもしれない。  晴れた日に太陽を透かして、花びらに吹かれながら喜ぶ彼を見なければ。あの下で飲む自販機の割高なソーダが美味いなんて知れずにいたなら。あのとき食べたコンビニで買った添加物だらけのおにぎりのことを今でも思い出してしまうだとか。  直進すれば目的地だった。雨の日はなにかと嵩張る。傘もタオルも、心持ちも。早めに出たから時間もある。ペールピンクの霞の奥には園内の時計の柱があって、あの頃からどれだけ、あの短針は回ったのかとふと見上げたままでいたら、我に帰ったときには右折のための信号機待ち。優柔不断だ。よそうとしたときには青へと変わる。何かメッセージ性を感じたわけではないけれど。  水捌けの悪い街。大通り脇の小さな公園。春にはこうして薄紅色で人目を惹いて。今日は雨だというのになんて花見日和。踏み締めた水溜りは澄んでいて、曇り空に俺を包む傘を映す。  傘があるから誤魔化せずにいる。さらに水捌けの悪い地面は、足跡と、花びらと、俺の涙とでぐちゃぐちゃだ。  あの日並んで座ったベンチだけがまだそこにあって、近付いてみれば桜の木に抱かれている。大きく腕を開いておいて、このまま俺の心まで散々ばらばらというわけか?  嫌いだ、桜なんて。不気味なくせに散り際ばかり褒められて。大嫌いだ。儚いぶって俺をばかにする。  嫌いになりたい。ひらひらひらひら、舞い落ちていく向こうに、誰かをみてしまうくらいなら。 *** 2023.3.27

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