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そのコイは ※
monogatary.comからの転載。
お題「鯉空」
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水面に空が浮かんで、その中を朱色の生き物が這っていく。木々の濃い影が緑を透かしつつ深淵を加えて、なおいっそう、目の前を悠々と過ぎた緋色の生き物が恐ろしく見えた。
空を引き裂くようだった。
長めの連休で分かりやすく観光地観光地した場所は混むだろう。気を休めに行ったつもりが、かえって気を揉み、肝を潰す。いいや、非日常の中に入ることに意味があるのかも知れないが……
だから自然公園に来た。ピクニックやソロキャンプをしている人たちはいたが、そう混雑はしていなかった。
キャンプ場や公園を通り抜けた山道の外れから池が見えて、俺はその中に蠢くものを見たのだ。
「それ固そうだし、多分食えないぜ」
まだ季節的には早いが、カブトムシを探している彼が言った。木の一本一本を渡り歩く様は地を駆けるサルのようだ。
「分かってる。釣り堀じゃないんだ。鯛でもあるまいし」
食べられるか食べられないか、大事なのはそこか。カブトムシだって食べられないと返せば、幼虫なら食べられる、と言い出しかねない。栄養の有無の話ではないのに。
「デカい金魚」
「コイっていうんだ」
まさかコイを知らないわけもない。
「ああ、コイか。前に旅館で出た赤い焼き魚美味かったな」
どこかで水面を小さく叩く音がして、それが静かに谺 する。
「あれはコイじゃない」
「分かってるよ」
彼はまだカブトムシを探している。この季節にはまだいないと分かっていながら。
「滝でもあれば、龍になれたかも知れないのに」
「何言ってんだ?コイはコイだろ」
変なところで彼は現実的だ。それでいて、彼といると現実主義者を気取れた俺は不意を突かれて夢見がちなことになる。
彼は木の幹に登ろうとしていた。そういうところは後先考えない。
「やめろ、危ない」
「オレはアイアイだから」
鉄棒をするみたいにぶら下がり、能天気だ。確かに小柄で軽そうではあるけれど。
「怪我をしたらどうする」
俺は空を映した池から離れ、彼の元に駆け寄った。子供と遊んでいる気分になる。だから自然の中で遊ぶのが、そう退屈ではないのかも知れない。
「コイとかアイとか何言ってんだ?」
その声に俺は振り返った。池の近くで食パンを千切って池に落としているのは俺と彼の共通の友人だ。
「滝がないから龍になれねぇだ?大事なのは滝じゃねぇだろ、勢いな。はよ付き合え。あと昼飯は和食に決定。絶対魚食う」
ヤツの手からこぼれたパンくずが、水面に大きな波紋を残した。
***
気拙そうな3人目。
2023.5.5
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