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小さなミナミノシマ ※
monogatary.comからの転載。
お題「前髪がキマらない」
***
鏡を占領しているのがいる。髪を濡らしながら、試行錯誤している。後ろの髪はワックスで決めてあるのに、伸びた前髪は寝癖がついて誤魔化しも利かないらしい。
今から切ると毛が散らばって汚れるな。通学前の少し慌しい彼の感じが、平穏で嫌いじゃなかった。俺からするば。
「どうしよ~。助けて〜、ぬこヱもぉん」
彼はそうやって、俺を優秀な猫型ロボットに喩えて甘えてくる。悪くない朝だ。
「縛るのはどうだ。夏だし、涼しげだろう?」
俺は宝物を差し出した。物に溢れる今の時代、稼ごうと思えば起業もアルバイトもできるこの歳で、俺の宝物といえば女児用の髪ゴムなのだから笑われる。人によっては危険視されるな。
「何それ」
彼は俺の宝物を摘んでしげしげ眺める。黄色のゴム部分が経年劣化に耐えられず弱っていて頼りない。レモンの輪切りのチャームが付いている。
「忘れたのか。くれたのお前だぞ」
彼は喫茶店で出るようなレモンティーみたいな色の目を真ん丸くして不思議そうに俺を見た。
「う~ん。忘れた!ゴム切れてっし。輪ゴムでいいや!それならあったし」
彼はまた忙しく駆け回る。
「じゃ、行ってくンね!」
事が落ち着いたかと思うと、またどたばたと騒がしく玄関でやっている。
「気を付けろよ」
ジャムを塗った食パンを齧って、妙な出会いでもあると困るな。
「ほ~い」
嵐のような子だ。そこに爽やかな匂いを置いていく。あの頃と比べて、大人っぽくなった匂い。いやいや、俺たちは一応はもう大人のはずだ。
……それが朝の出来事で、俺も忘れていた。
「髪ゴムねぇならやるよ。ゴム切れてっし、イミ無いべ」
彼は俺に小さな紙袋をよこした。中にはまた女児用の髪ゴムが入っている。星型のチャームが付いている。
「ありがとう……」
「壊れてたし捨てちまえば~?」
「捨てないさ。宝物だからな」
彼は急に顔を真っ赤にして両手で隠してしまった。
「いつまで持ってんだよ」
「失くすまで」
「それじゃ、オレに貸しちゃ、 紛失 だな」
背中を見せた彼の耳は真っ赤だった。
「宝物が増えちゃうな」
俺は星の付いた輪ゴムを摘んだ。
「使えよ」
「俺の悪いクセさ」
「どんぐり隠したところ忘れるリスじゃん」
「そうか?」
「使わなきゃイミねーの。分かる?」
彼は今、どんな顔をしているのだろう。
「そうだな。こっちは使って、あれはしまっておくよ。大切に、な。前髪伸ばさないと」
――縛っちまえば?前髪伸びんのウザいよな。髪上げたほうが涼しーし。
***
大学生くらいの想定。タイトルは髪型
2023.6.30
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