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monogatary.comからの転載。 お題「猫とぼく」 ***  昔、親戚が亡くなったときに「ぼく」という言葉を耳にした。「僕」でも大木(たいぼく)の「ぼく」でも墨汁の「ぼく」でもない。  それはおそらく死に纏わる言葉なのだろう。  あれから長い月日が経って、俺はまた「ぼく」という単語を思い出した。  眠れない夜というのは退屈を怖がる。かといって読書は重いのだ。もう少し軽く、頭に入ろうと入らなかろうと構わない、至極どうでもいい取捨選択に余計な体力を使わない情報を欲する。   そういうとき、俺の場合はネットサーフィン。どこの誰かも知らない、大した興味もない他人のブログを読んで、気付けば眠気に襲われている。  今晩もそうだった。「ぼく」だけでは別の事柄がヒットすることなんて分かっていた。「ぼく 葬式」「ぼく 通夜」どれもそれらしき記事は出てこない。「ぼく 喪中」と検索して、やっとそれらしいことが分かった。  あれはもとは「忌服(きぶく)」というらしい。それが崩れて「ぼく」というらしい。  予感は当たっていた。厳密には当たっていなかったが、大体同じようなものだった。  俺は今、「忌服(ぼく)」の中にいるのだろうか?いいや、いない。俺は彼の親族ではないし、家族ではかった。  夫婦ならば「忌服」なのだろう。けれど夫婦は他人だ。ただの法律によって、人は死生観の(しがらみ)まで左右できるのだろうか。いいや、多くは子供がいる。身体を重ねれば、それが穢れとなって柵を生むわけか?くだらないことだ。  死後は無だ。遺されたものがどんちゃん騒ぎをして何が悪い?  死後は無なのだ。いいや、死によってしか在ったことを示せなかった人間にこそ、死は有か。  部屋の隅にいた小さなキジトラが急に俺の腋へ擦り寄ってきた。存在を忘れていた。  今朝、道路を這っていたのを拾ってきた。轢かれようが食われようが俺の知っていることではないし、こいつを母猫から奪ったのかも知れない。だが仕方のないことだ。生きとし生きるものはみな可哀想なのだ。不幸なのだ。ここで俺に捕まるのが悪運(さだめ)だった。   「こういうときは、黒猫であるべきだろう……?」    猫は俺の腋で寝てしまった。呑気だ。  こいつは俺のために生きているわけではないのに。逆も然り。俺も彼のためには生きていなかった。  何故死んでしまったのだろう。彼と往く未来(さき)は輝かしいものと疑いもしなかった。ああ、彼が死んでから見えるんだな。漠然としていたのに。彼と望んでいたシアワセナ暮らしってやつがさ。 *** 2023.6.30

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