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虫ケラも嘆く頃に ※
monogatary.comからの転載。
お題「信号が変わる前に」
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セミの鳴き声は分かりやすい。ジージー鳴いているのは昔曾祖母から、ミミズの声だと聞いていたけれど、調べたらミミズに声はないらしい。正体は何でも構わない。オケラでも何でも。あれは真夏の嘆きだ。地獄よりも手酷い暑さに、地面が灼けていく音だ。そうであるほうがいい。夏は地獄だからといって、冬秋春が天国だとは限らないのに、人々は騙し騙しやって生きている。
夏に文句があるくせ、夏の夏らしさ、季節性について俺はしっかり消費するのだけれども。
暑いのなら外に出なければいい。外に出る必要があるのなら夜にすればいい……いいや、人には生活があって事情がある。
田舎の夏はとにかく暑い。日陰もなく、店から溢れ出た冷風も、室外機の汚い風もない。アスファルトは照り返し、目の前を横切る車の中は涼しかろうが、車体はぎらぎら陽炎みたいだ。
動いていなければ不安になる。俺たちはマグロだ。けれど俺は立ち止まってしまった。もう歩けないと思った。思っただけだ。現実的には歩かねばならないのだろう。これは比喩の話。実際の俺は立ち止まっている。
日傘を差して横断歩道で。黒い服も黒い靴も失敗だった。火傷しそうだ。
赤い信号まで伸びる白い横線は色褪せていた。それを辿っていけば左右からしゅんしゅんと車のタイヤが残像を残していく。
大通りと田舎道の交差点だからか、ここの赤信号は気持ち長く感じられる。嫌な時間というものは長く感じられるし、そこに暑さも加われば尚のこと。首筋の汗は気持ちが悪い。意地なんか張らないで、男も日傘を使うべきだ。これは美容のためではなく、もはや安全具なのだ。クーラーが贅沢品から生活必需品になったみたいに。スマホ然り。
俺はぼんやり、赤信号を見ていた。隣に誰かいる気がするのだ。誰だかは知っている。今の季節は地獄だからだ。地獄を発明した人は、きっと夏を想ったのだろう。夏を馳せたのだ。まだそう暑くなかった時代のクセに。
「踏み出してみればいいじゃん」
その声は耳に遺っているのに、彼の姿は向こう側、信号機の下にある。
熱中症か?願望に似た、危険な幻だ。
「こっちに来ればいいじゃん」
彼は夏の申し子のような人だった。能天気なことだ。
「まだ未練が、あるんだよ」
俺は首を振った。
罅割れたアスファルトを駆けていた車が一斉に停まる。
俺は隣を見た。誰もいない。右脇の道からきた黒い車が左折したがっている。信号を見れば青だった。その下にも誰もいない。
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嘆くと書いて「なく」か?
2023.7.28
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