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オンショアにかぎろう ※
monogatary.comからの転載。
お題「潮騒に揺られて」
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水中は母胎時代を思い出させるらしい。人の身体はほとんどが水分だものな。鮭みたいに母川回帰というわけではないけれど、俺は水の中に揺られていた。
ラフな質問に「生まれ変わったら何になりたいか」なんてものがよくあるが、幼い頃から輪廻転生を刷り込まれているわけだ。勘弁してほしい。輪廻転生なんてやめてくれ。そしてそれがろくでもないことだと発案者は理解していて、ところがラフな質問者はそれに夢や希望を見出している。
やめてくれ、やめてくれ。俺はそんな死生観じゃない。拳銃を突きつけられて、答えねばならないのだとしたら、俺はその辺の石ころになりたい。いいや、夏は暑かろう。揺蕩える海藻にでもなりたいな。
俺は水の中にいた。翼を欲しがる歌があるけれど、無謀だ。考えなしだ。求めるべきは水掻きと鰓だ。空では落ちてしまう。人間みたいだ。生まれ堕ちたら足掻くしかない。
潮騒と喧騒を思い出す。ここはプールなのだけれど。碇と浮輪の描かれた海パンだとか、足首に巻かれたミサンガだとか。少し砂をつけた瑞々しい褐色の肌とか?
たまに傷痕をなぞってみたくならないか。そして思い出してみたくならないか。それは自身との傷の舐め合いの意図があるわけではなくて。克服の意図があって。
けれどその傷痕ってものが、物理的なものではなかったら?可視化できないものだったら。大きさと深さを探っている。
俺はただ、水というもののみを敵視している。この身体には何リットルの水を蓄え込んでいるのかも理解せずに。
的外れだ。ここはプール。喧騒はあるけれど潮騒はない。果てがある。泳げてしまう。地に足がつく。水は温かい。泳げてしまうわけだ。手足が流れを掴めれば。
何もみることなどできないのだ。所詮は生者の、未経験者の妄想だった。
本当の目的は多分泳ぎ疲れることなのだろう。ほんの少しの間、水中を揺蕩ってみたところで得られるものなどなかった。
彼の災難を知りたかった。そうして傷痕の大きさと深さを探ってみたかった。
人は息絶える瞬間の光景を何度も繰り返すのだと、発想した連中が羨ましい。それを素直に認められたらよかった。認められないくせに、俺は彼の苦しみを理解してみたかった。理解しきるほどの度量もないのは分かっているけれど。
今年も3回目の命日がくる。何も理解してやれないまま。波打ち際で見送って、あの背中が小さくなっていくのをまた思い起こす。喧騒のなか、太陽の眩しさで見失う。
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2023.7.31
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