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浮動 ※

monogatary.comからの転載。 お題『「君だけに見せたかったんだ」』 ***  都内で、電車を使って生きていれば、たまには目の当たりにすることもある。自殺大国なのだから。  人は生まれたくなかったが、命と共に生まれてしまった本能に恐れ慄いて、欲求に翻弄されながら仕方なしに生きている。たまの甘い露に騙されて、錯覚して。そんなことも忘れて。  けれど不意に思い出させられる。毎日誰かが、飛び込むか、飛び降りるか、首を括るかしているわけだ。手段ならば他にもほかにも……  仕方がない。文明が進化していって、寛容になって、医療も技術も進歩して、文化は豊富、食にも困らない。給料は上がらないが、全体的にみてまあまあ豊かでゆとりはある。何故なら上も大して豊かではないから。  全体的にはゆとりができた。自由な思想に個人主義。自分の時間ができると、ふと考えてしまう。  多分、俺たちは立ち止まってはいけなかった。けれど駆け抜けてもいけなかった。何も知ろうとせず、知らず、積み上げたものは傾いて、いずれ瓦解する。取り返しのつかないところで。  だから仕方がない。耳に残った悲鳴と弱音に憂鬱になった。思い知らされる。俺たちは死のある世界に生きていることだとか、死にたくなるような事柄の跋扈した世界に生きていることを。社会が悪いのか、弱い一個人が悪いのか、頭の幸福物質が悪いのか。  痛みを想像してしまった。目の前で轢かれた人はまだ生きていた。すぐには死んでいなかった。最初、人の声だなんて思わなかった。  腹の中が空っぽになるまで吐いてしまった。夕食はゼリーでいい。  締め付けられる感じだった。喉も痛む。最悪だ。  足を引き摺り、自宅のあるマンションに辿り着く。雨は降らなかったはずだが足を置いたところは濡れていた。  誰かがバケツでもひっくり返したのか?  いいや、それは血溜まりだった。辿っていけば、人が仰向けに寝ているのだった。  それは、"彼"だった。 「なぁ、オレの死ぬところ、オマエにだけ、見せてあげる」  俺は目を屡瞬いた。何もない。血溜まりなどどこにもない。ただの水だ。横たわっているのは花だ。花が捨ててある。  俺は脇に除けて、また吐いた。  青臭い恋というものに酔い潰れたくなったことがある。叶わなかったというのは何を示す?好き合えた。それで満足だった。  何か足らなかった?"完成"だ。何かを悲観した。"不安定さ"だ。  いずれは訪れる可能性だ。  俺たちは完成したかった。決着したかった。  未完成の不安定な関係すら想定(アイ)することをしなかった。 *** 2023.8.14 純愛は時折り突っ走りがちなのだ。

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