151 / 178

刃の谺

 大体のことがどうでもよかった。俺に関わらないことなら。  人には様々な考えがあって事情がある。理路整然としていられることのほうが少ないくらいに。  俺がそれを内心で自分に標榜していたにもかかわらず、破ったのは高校のときだった。  教師に。教え子が自殺したらしい。そのことについて、数年越しに"彼"を叱りつけた。そんな間怠い表現は要らない。つまり自分で終わらせることを選んだ人を非難した。  人は望んで生まれるわけではないが、生まれたからには生きなければならないと思い込まされて、望んで死にゆくこともある。  俺はあの先生を非難した。高校生くらいまでこの国で生きていれば、自分で死ぬのは良くないことだなんてそんなことはある程度分かるだろう。それでも死を選ぶ気持ちを結果論で語ってどうなるのかと。今後続くはずだったすべての責任を取り、援助してやるくらいのことは言えたのかと。人は1人じゃ生きていけないが、表沙汰にしたら後戻りできないこともあるのだと。  子供の戯言で公序に燃える一教師を辱めた。そのツケが、多分これなのだろう。  わざとだろうな、と思った。救急車を呼ぼうとする俺の腕を血塗れになった手で掴まれたとき、そう思った。  彼の家が上手くいっていないことは知っていた。  だから自ら事故に遭った。俺は偶々、その場に居合わせてしまった。  保険金目当ての―  だがまだ若い彼にいくらの金が掛かっているというのだろう?  助からないな、と思った。彼もまた助かる意思がないみたいだった。けれど見殺せば、俺の所為になるのだろう?俺は彼のすべての責任を負えやしないのに。  日に焼けた顔は土気色になって、唇は青くなっていく。救急車を嫌がる手は震えていたが、多分俺が震えていた。  恐ろしくなった。あのときのあの教師は背負わされた気がしたのだろう。振り切らねばならなかった。  俺は弱った手を振り払って、救急車を呼んだ。  心電図の止まる音は、今でも耳鳴りとしていつでも聞ける。主張(こだわり)など持たないほうが人生は楽だった。  俺は保身のために彼の手を振り解いた。あの教師は無力感を転嫁したかった。今になって……  見えてはいけないものが俺の目の前に立っているのだった。  家族のもとにでも出てやればいい。 『家族を殺人犯にできないじゃん』  遺言はそれだった。最も早く忘れられてしまうのは声らしいが、俺は忘れられずにいる。   *** 2023.11.13 monogatary.comのお題の「見えてはいけないもの」で書いて没。

ともだちにシェアしよう!