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二重訂正線 ※

monogatary.comからの転載。 お題「キライとの付き合い方」 ***  視界の端で何か光って、見遣ればボールペンの銀色だった。プラスチックの表面に、銀色のクリップ。  ボールペンというやつはすぐにインクが出なくなって、値段のなのかと思うと意外とそうでもなかった。有名な文具メーカーのボールペンでも、インクがあるというのにすぐに出なくなるものもあれば、無名メーカーだったり、安物だというのに長持ちするものもある。  人間にも、そういうところがあるのかも知れない。いいや、その"意外性"が印象に残るだけなのだろう。  大嫌いだ。俺は使えないものはすぐに捨てたい性分なのに。  確かもうインクの出ないはずだったボールペンを手に取ってみる。それなら捨ててしまえばいい。ボールペンとしての存在価値(アイデンティティ)を失ったのだから。  大嫌いだ。俺に無駄なことをさせる。  ノックして、ペン先が突き出る。もう長いこと使っていないのに、そのクリップもペン先もまだ艶やかな銀色をしていた。  その辺にあった紙にペンを走らせた。表面に小さな溝を作るだけ。瑕をつけるだけだった。これはもう捨てるものなのだ。  大嫌いだ。俺を感傷に浸らせる。  これは捨てていいものなのだ。だが捨てられはしなかった。だからそこに意味を持ちたかった。  おそらくインクは乾いていて、芯には残って見えるけれど、書けないのなら意義(いみ)はない。  ペン先はただひたすらに紙を彫る。直線、渦巻き波線。心電図にも似ていた。  インクは出ない。これはそろそろ捨ててしまうべきものなのだ。  静物(もの)に感情はない。けれど感情を見出す。それが生き物に近ければ尚のこと。それは分かる。共感もする。けれどこれはただのボールペンだった。ゴミ箱に翳してみたところで何ら困ることのない、分別としても間違ってはいないことなのだ。けれど虚しさが訪れるのだ、俺の胸には。泣きたくなるのだ、突然に。  これをくれた人は、もうこの世にはいなかった。  最初から最後まで馬の合わないやつだった。  プレゼントとは言えない、ただ事の成り行きとしてくれたものに過ぎなかった。あの日のことはよく覚えている。貰ったからやるよ。確かそう言った。店名はもう半分、剥げているけれど。大量発注の安いボールペンだった。  本当はずっと好きだった。嫌いなわけなかった。けれど二重線を引くしかなかった。(ごまか)せやしないのに。  延々と、ぐるぐると、はっきりしない。  ふと我に帰る。手元を見れば紙が濡れていた。黒い滲みを遺して。 *** 2023.9.12 「need you訂正線」

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