159 / 178
黄泉汽車 ※
monogatary.comからの転載。
お題「名もなき駅」
***
踏切りの前に立っていた。ここから駅は見えるけれど、歩いていくとすれば入り組んだ住宅街のために10分弱はかかる。線路を辿れさえすれば3分もしないのに。人生なんてそんなものだ。目的のために遠回りする。けれど交通の話なら容易いことだ。目的地はそう簡単に逃げやしない。目指す場所がさらに遠くへ変更されることはあるけれど。
踏切りはなかなか開かなかった。警報機の音は耳鳴りになっていたのかもしれない。けれどバーは道を塞いでいる。俺は待っていた。賭けは苦手なタイプだった。律儀なほうだとも思っている。窮屈なほどに。だがそれは臆病がゆえのものだった。俺なりの矜持 のつもりでいたけれど。
だからつまり、俺はこの跨いで行けてしまいそうなバーを通り抜けることができなかった。
踏切りは怖いところだった。俺にとって。実家の近くにもあるからだろうか。随分と昔に人が死んだと祖父から聞いたことがある。そして俺も、脱走してきたらしい犬が轢かれているのを見たことがある。剥げた赤い首輪の、雑種の老犬だった。可哀想に。
踏切りは怖いのだ。
ふと向こう側を見ると、誰か立っていた。何か叫んでいるようにも見えた。けれど警報機の音で聞こえなかった。
俺と同い年くらいだろうか。そう差はないように見える。筋肉質で、小柄な気がする。スポーツマンらしい。日焼けしていて、蛍光色にこだわったミサンガだのラバーだのが軟派に見えた。ああいう奴は必ずハーフパンツで、必ずサンダル。例に漏れない。靴下が嫌いなのだ。
奴は俺を見ていた。そんな気がした。
次の瞬間、俺は電車に乗っていた。何の広告もない、殺風景な電車だった。乗客は俺以外に誰もいない。案内表示板にも真っ暗だった。俺は座っていた。恐ろしくなった。立ち上がると、踏切りで止まっていた。俺が立っていた踏切りだ。窓の奥でたじろぐ人が見えた。俺と同い年くらいの日焼けして蛍光色の映えたスポーツマン……
電車が動きはじめる。車内アナウンスは雑音に紛れて聞き取れなかった。案内表示板に流れた行き先は読み取れない不思議な言語で、俺は降りようとした。けれど扉は閉まっていた。電車は徐ろに動きはじめる。
俺は窓から、あの若いスポーツマンを見下ろした。
そして思い出した。彼は俺に気付かず呼び続けている。聞こえはしないけれど。
窓を叩いた。彼に変化はなかった。どこかに行く。案内表示板は相変わらず文字化けしていた。
***
2023.9.19
魔列車に注意
ともだちにシェアしよう!