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逆献花 ※

monogatary.comからの転載。 お題『「すみません、お水ください。」』 ***  あの世は熱いと昔に聞いたことがある。だから寺の人にそれは間違っていると言われても管理上問題がないのならば俺は墓石の真上から水をかけるのをやめなかった。  すべては俺たち生者の自己満足でしかないのだけれど。あの世はないし、死人は無。寒さも暑さもない。時に人はその虚無に価値を見出して死を選ぶほどだ。  しかし怪奇な話は多い。たとえばお告げのような夢をみて、墓や仏壇を確かめに行けば、そこに不調があったなどと。  かくいう俺もそうだった。枕元で水を求める声がする。  彼の声で。  魑魅魍魎というやつが存在して、そいつの仕業ならよくやると思う。  人は声から忘れていくそうだ。忘れずにいようとしても。街中で似た声を聞いて、懐かしさに用事も忘れてしまうのに。  人は声から忘れていくのに、匂いで思い出す。一緒に食べたハンバーガーの匂いだとか、愛用の制汗剤の匂いだとか。  記憶の浮き沈みの中で、忘れてかけても思い出してしまう声を使って、やつらは水を求めた。  放っておけるか?放っておけなかった。今度こそ忘れないように、今度こそ覚えておけるように、要求を呑まず、延々と聞いていることもできたけれど、俺は策士ではなかったし、賢くもなかった。  俺は彼に甘かった。  冷たい水をやりたくて、買ったばかりのペットボトルを持ち墓場へ行った途端に理解した。あれはやはり彼ではなかった。けれど化け物でもなかった。  墓石の隙間から花が咲いている。1本、石の狭間でよくここまだ伸びたというくらいに立派に育っていた。  冷たい水はやれなかった。花には良くない気がした。俺が飲んでいた生温い麦茶をくれる。 「次は家族に言え」  俺は誰もいない墓場で独りで喋る頭のおかしな人間になっていた。それも、俺の家の墓ではなく、他人の家の墓の前で。  彼は花を愛でるような人ではなかったし、あの声は彼であったけれど、きっと彼ではなかった。  花を見下ろしていた。長いこと。連れて帰りたくなった。ここにいても朽ちるだけだ。  けれど彼の傍に置いてやりたかった。花を愛でるような人ではなかったけれど……  考えて、嫌になる。あの世はないし、死者は無で、すべては生者のこだわりでしかない。この俺の逡巡は不毛で、無駄で、何の意味もない。カロリーの消費という点ではむしろマイナスだった。  人が生きたという証は時折、厄介なのだ。理不尽なのだ。  魂をくれ、くらい言ってこい。そうすれば抗えた。無駄か否か、考えもせずに。 *** 2023.9.19 逆に死者からの献花(別れの意)

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