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肉眼 ※

monogatary.comからの転載。 お題「防犯カメラ」 ***  写真や映像の被写体が、もう死んでいる……なんてことがあったりすると、よくあることではあるけれど、不思議な感覚に陥ることがある。  彼は、彼女は、本当に存在していたのだろうか。懐疑的になる。錯覚だと思い込んでいるような。  人は「有」から「無」の存在に変化する。「在る」は動詞だが「無い」は形容詞だ。なんだか虚しくならないか。  これが俺にとっての「"死"の理解」の限界なのだと思う。  俺は画質の粗い映像を眺めていた。何度も、何度も。  見慣れた玄関も、画面を通すといくらか違った情感が漂うものだった。そこにこれまた見慣れた人物がやってくる。インターホンを押して待つ。またインターホンを押して待つ。それからもう一度インターホンを押して、玄関扉を叩く。  巻き戻す。同じことを繰り返す。画面の中の奴が?奴も。俺も。  CDに焼いて、日付を入れる。まだそこまで数はなかった。  映っているのは俺のかわいいストーカーだ。俺がストーカーに育てたのかもしれなかった。  お気に入りのビデオをプレーヤーに入れる。これにはあまりにも俺に無視されて泣いてしまう姿が映っている。人の往来があるというのに脇目も振らず、顔面を紙屑みたいに歪めて泣き喚いている。壁ひとつ隔てたところで、俺がそれを眺めていることも知らないで。  今すぐに出ていって、抱き締めてやりたかった。だが刻み込まなければならない。彼は理解しなければならないのだ。誰にでも好い態度(かお)をするのなら、俺はいつでも彼を赦し、傍に居られるわけではないということを。  映像にノイズがかかる。呪いかもしれなかった。  ある日を境に、それなりによく撮れていた映像にまで靄がかかるようになった。これは霊障だった。  俺のコレクションは徐々に蝕まれている。  例の日の映像を再生してみた。玄関の前で、彼はぼうっと立っている。何時間もそうしている。彼の彫像でも置かれたみたいに。  今でも映っているのだ。今、現在、現時点で映しているモニターにも、俺の家の玄関前には彼が立っている。    彼は自分が死んだことに気付いていないのだ。俺が外に出ていることにも気付いていないのだ。彼は閉じ込められているし、俺が閉じ込めているのだ。  さようならは言ってやらない。墓参りもしない。お前はそこにいるべきなのだ。俺に囚われ続けるべきなのだ。怨霊と化しても執着(アイ)するのが恋人の務めだろう。怨霊にさせた恋人を、(アイ)し続けるのも。 *** 2023.9.22 ヤンデレはどっちだ!?

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