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虚実 ※

monogatary.comからの転載。 お題「物語を書き始めた日のこと」 ***  自分で作ったものに恋をしてしまうことがあるという。理想を詰め込んだなら、それも無理からぬことのように思う。  世の中には様々な形の恋がある。生殖を目的とした色恋の時代ではなくなったのだ。進化してきたのだから、俺たちは。多分、流行は肉体的快楽よりも精神的快楽に移ろいゆくのだろう。原始的な感覚にも、時代の進化のアレンジは加わるということだ。  それは自己正当化なのだろうか?擬似的な生殖ができたとしても、繁殖不可能な相手に惚れた俺の。人は希望を持ってしまうものだ。期待してしまうものなのだ。たとえば本能で繁殖は不可能だと理解しても、それとは別に理屈では相思相愛を夢にみる。いいや、そのことではない。俺が同性の人間に惚れてしまっていることについてではなく……  鉛筆の芯が折れる。万年筆でもボールペンでもシャープペンシルでもない。俺は鉛筆を使って小説を書く。  戸惑いがあった。誰に見せるでもないのに、俺は俺と向き合えなかった。俺をモデルにした主人公と、"ヒロイン"。だが欺瞞だ。"俺"が惚れているのは彼女(ヒロイン)ではない。こんながさつで大雑把な女に俺は惚れない。  嘘を書くのが小説だとはいうけれど、俺の中に溢れた言葉を偽って書くが小説なのか?  赤鉛筆で線を引く。"彼女"ではない。女ではない。こいつは男なのだ。がさつで、大雑把で笑顔の多い、無神経な男なのだ。俺はこんな女は好きにならない。それは嘘だ。欺瞞だ。誰に見せるでもなく、俺を偽れる場所にまで、俺は嘘を塗り固める気なのか。  俺は"彼"に惚れた。がさつで、大雑把で、笑顔の多い、無神経な男。  『白い歯が並んでいて、目が細められて、歯軋りみたいに笑う。』  けれど俺は、"彼"の笑顔を正面から見たことがない。違う、きっと彼はこんなふうに笑わない。その映像は俺の中にあるはずなのに曖昧だった。  がさつで、大雑把で、笑顔は多い……彼はどんなふうに笑っていた?  何故"俺"に笑いかける?どんな理由があって、そんな男が俺に笑いかける?  『がさつな"彼"は生温かく柔らかな掌を差し出して、俺の手をとる。』  けれど彼の掌は生温かく柔らかいのか?どうして彼が俺の手をとる?何の理由があって?  乖離していく。理想を書き連ねたはずなのに。嘘で塗り固めるはずが、嘘に詰問されている。  "彼"は俺に笑いかけたりしない。俺に手を差し伸べたりしない。  "彼"が俺の目の前に立つことはない。そんなのは"彼"ではない。 *** 2023.11.20 「彼」たる所以は振り向かないこと

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