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あんな綺麗な男は見たことない
混乱した頭のまま、男の顔を見上げる。堕天使は、目を細めて、悪魔のような笑みで(瑛斗にはそう見えた)瑛斗を見返した。
「なに……すんだよ……」
強く抗議したいのに。か細い声しか出なかった。男の目から自分の目を逸らせない。
堕天使は満足気な顔をして、瑛斗の右腕を解放した。
「なにって、キスしただけだけど。顔赤くして可愛いかったから」
その言葉に、自分の中に怒りが込み上げてくるのを感じた。
なんだなんだ。さっきから、可愛い可愛いって!俺は男なんだよ!ふざけるのもいい加減にしろ!
と、強く言おうとした。ところが、口をついて出た言葉はそれとは違った短い一言だけだった。
「この……バカやろおおおおっ……!!」
大声を上げながら、堕天使男を思いっきり突き飛ばした。素早く方向転換し、そのまま後ろも確認せずに全速力で突っ走り、家を出る。
俺は、幼稚園児か……。
文句の1つぐらい、男らしく言いたかったのに。とっさに出てきた言葉は『バカ野郎』だった。
それくらい、瑛斗は動揺していた。色んな感情がごちゃ混ぜになっていて、冷静になんてなれなかった。男にキスされたのももちろん初めてだし、可愛いなんて言われるのも不本意で腹立たしかったし。それになにより。
走るスピードを徐々に遅くして、立ち止まった。少し息の上がった呼吸を整える。あの男の言ったとおり、ビーチは目の前だった。街灯が通りを照らしてはいたが、海はもうすっかり暗闇に覆われてなにも見えない。
瑛斗の脳裏に先ほどの堕天使の姿が浮かび上がる。
そう、なにより。あんな綺麗な男を見たことがなかった。思わず見とれるくらい美しかった。男に対してそんなふうに思うこと自体、今までの瑛斗には考えられないことだった。
「瑛ちゃん!!」
遠くから、山本が全速力で走ってくるのが見えた。
「ちょっと、瑛ちゃん! どこ行ってたの?? めちゃくちゃ心配したって! なかなか帰ってこないし、もう真っ暗だし、携帯かけたら俺の鞄の中で鳴るし、ほんと、どうしようかと思って、警察とか電話したほうがいいのかもって、マジで心配したんだから!!」
「ごめんな、ヤマ。道に迷った……」
「もう……。無事だったから良かったけど……瑛ちゃん?」
「ん?」
「どうかした? なんか、元気ないけど……。俺、そんなめちゃめちゃ怒ってないよ」
「いや、なんでもない。ちょっと、疲れたわ」
「そう……。なら早くホテル帰ろうよ。ゆっくり休んで、明日1日楽しまないとさ。最終日だし」
「うん」
頭の中に居座り続ける、あの堕天使の綺麗な顔を振り払うかのように頭を一振りする。先を行く山本の後を追って、瑛斗は逃げるようにその場を離れた。
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