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堕天使悪魔の名は相良

 低く唸る音が静かに響く。全く耳障りではない、落ち着いた音。車はゆっくりと発進した。振動がほとんどない、座り心地抜群の座席に感動しながら外の景色を眺めていたが、ふと気づいて隣の男に話しかける。 「あの……。俺、お前の名前、知らないんだけど」 「ああ……そうだった? 相良(さがら)」 「相良さん?」 「さんは要らない。そう言えば、中嶋瑛斗くんはなんて呼ばれてんの? いつも」 「俺? 俺は、瑛斗とか。あと、中嶋とか」 「もうちょっと可愛らしいのないの?」 「そんなのない。可愛らしさは求められてないし」 「俺が付けようか? 可愛らしいの」 「いやいや、いいから。中嶋か瑛斗で」 「えー付けるって」  えいぽん、とか、えいえい、とかイタいあだ名を付けられても困るし(この男はやりそうな気がする)。ここはとりあえずうまいこと言って避けなければ。 「瑛ちゃん、とかは? それならちゃん付けだしさ、可愛らしさもあるにはあるしどう?」 「……それ、誰かもう呼んでる?」 「え? ああ、うん、俺の友達で呼ぶやついるけど……」 「じゃあ、呼ばない」 「なんで?」 「一番じゃないから」 「はあ……」  会った時に面倒くさそうなやつだと思ったけれど。それは間違ってなかったらしい。ここはとりあえずあまり反抗しないでおこう。これ以上抵抗したところで、こちらに弱みがある限り、この相良という男の言いなりになるだけなのだ。体力の無駄である。 「もういい。お前の好きに呼んでくれ」  降参してそう言うと、男は少し考えるような仕草をしてから口を開いた。 「何個か思いついたけど……。やっぱ、いいわ。瑛斗にする」 「……は?」  なんじゃ、それ。  さっきまで、可愛さを求めていたくせに。結局『瑛斗』って。 「なにそれ」 「え? だって、嫌だし」 「なにが?」 「俺の考えたやつで呼んで、それを他のやつが便乗して呼び出すのが嫌」 「…………」  目の前の男が、堕天使や悪魔ではなく、今度は宇宙人に見えた。理解不能な別の生物。 「……ちなみに聞くけど。お前の考えたやつってなに?」 「えいぽん、とか」 「…………」  もう、この件はこれ以上深く考えないようにしよう。そう思い、逆に聞き返した。 「で、お前は相良なになの? 下の名前」 「下? (あおい)」 「あおい?」 「そう。家の人間以外あんまり下で呼ぶやついないけど」 「そうなんだ。なあ、相良って何歳?」 「27。瑛斗より6歳上」 「あ、そしたら、相良、って呼び捨て失礼だよな」 「別にいいよ」 「……なあ……もう驚かねーけど、お前ってどこまで俺のこと調べたの?」 「いや、一晩しかなかったから。そんなでもない。瑛斗の幼少からの経歴とか、家族構成とか、そんくらい」 「お前んとこ、一体なにしてんの?」 「うち? 会社経営だけど」 「相良が経営してんの?」 「違う。今は俺の親戚がしてる」 「ふーん」  ということは、こいつはただの金持ちのボンボンということか。まあ、おそらく金持ちのレベルは並外れてはいるだろうが、親だか親戚だかの脛を齧っているだけということだろう。  そう思うと、瑛斗と1日デートなどと言い出すのも、暇を持て余した金持ちの悪趣味なお遊びなのだろう。それに付き合わされるのは不本意だが、明日にはどうせおさらばできるのだし、たった1日我慢すればいいだけだ。  せっかくの旅行の最終日だ。嫌々過ごすのはもったいない。もともと前向きな性格である瑛斗は、とりあえずこの1日を楽しく過ごすように努めることに決めた。

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