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ノクターン

「冬雪さん、ありがとうございます」 「どうして~?」  冬雪に後ろから抱きしめられながら、湯船につかっていた。 「こんな機会を与えてくださって」 「むしろ、お願いしたのは僕のほうだよ?」 「それでも」  具体的にどんな仕事をしたいというビジョンはないけれど、イメージはできた気がする。  どのような使用用途でお食事なさるのか。誰といっしょに? 好きな食べ物は?  そういった食べるお客様の情報を事前に知ったうえで専用のコースを作り、そのお客様のためだけの料理を作る。  イメージしたものがかたちになるのは楽しかったし、何より召し上がったお客様が喜んでくれて直接感想がうかがえるなんて、こんなに嬉しいことはないと思った。 「夢だったんです。こういう仕事ができたらいいな」 「できるよ、歩夢なら」  肯定の言葉に、振り返る。  冬雪の視線が優しくて、見上げたら抱き着きたくなった。身体を反転させて、冬雪の膝に乗り上げる。 「冬雪さんに言われたら、本当にできそうな気がする」 「そうでしょ?」  叶うという字は口で十回言ったら叶うというけれど、自分の思い描いていた夢を実際にやってみたのは初めての経験だった。できない理由を並べるより、実際にやってみたほうが早いともいうけれど、食材と調理場と、それから「食べたい」というお客様がいれば歩夢の夢は叶う。それが、わかった気がした。 「招待状が届きました」  昼下がりのことだ。  朝起きたら散歩して、昼を食べたら昼寝して、昼寝から起きたらお茶の時間。そんな、お茶の時間のことだった。冬雪がタブレットを掲げてみせる。 「ピアノのコンサートですか?」 「そう、春馬のね」 「春馬さんの」 「珍しいよ、春馬が日本でコンサートするの。ホワイトデーコンサートだって。バレンタインのお礼に招待してくれるんだって」 「すごい」  冬雪のタブレットを受け取って、画面をスワイプする。「待望の」とか「熱烈に希望された」とかとんでもないキャッチコピーがいくつも見受けられて、期待度が高いことがわかる。 「そうそれでこの会場のあたりで、行ってみたいレストランとかない?」 「レストランですか?」 「そう、いろんなお店に食べに行くのも修行のひとつだよ」  会場となっているのは都市開発されたばかりの地域だった。有名なお店の新店がオープンしたという噂は耳にはいっている。 「どこでもいいよ。ご馳走してあげるって言いたいところだけど、僕の場合は外食費用は経費で落ちます」 「でも、冬雪さんの好みに合うか分からないし」 「歩夢に選んでもらいたいな」 「わかりました」  冬雪のお願いは断れない。お世話になっているからっていうのもあるけれど、自分にできることならばなんだって頑張りたいと思っている。好きだから。 「それからさ、スーツ仕立てにいかない?」 「スーツですか?」 「そう、春夏用の。歩夢、持ってる?」 「リクルート用のなら」 「うん、じゃあ一緒に見に行こう? 楽しみだなぁ、歩夢とデート」  デートという言葉に、あからさまに高揚した。いっしょにパン屋に出掛けたり、スーパーに出掛けたりはするけれど、市街にショッピングに出掛けたりしたことはなかったから、こうして冬雪との思い出が増えることは単純に嬉しい。 「僕も、楽しみです」  酔っぱらっていなくても、少しずつ自分の気持ちに素直になっている。それは冬雪がいつも肯定してくれるからで、惜しみなく愛を囁いてくれるから。

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