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ファッションスナップ

「これはまたずいぶんと攻めたファッションだねー」  ミントグリーンのセットアップを歩夢に手渡すと、歩夢はわかりやすく困惑した。 「僕が着るんですか?」 「間違いなく歩夢用だろうね。ほら、大希のデザイン画。明らかにモデルが歩夢」  顔の向きや表情が、冬雪がアップしたフォトグラムの写真といっしょだった。 「いやぁ、大希はこういう系統のファッションもデザインできたんだね」 「キレイな色だとは思いますけど。自分で着るのは抵抗があります」 「きっと、似合うよ。僕は見たいな」  とりわけ優しい声で言えば、歩夢は考えているようだった。「おねがい」と続ければ、小さく唸り声をあげる。 「こういうズボンってトイレのときどうするんですか? 全部、脱げちゃいそう」 「僕が抑えててあげようか?」 「えっ?」 「もちろん、ジョークだよ」  歩夢をからかうのは楽しい。単調だった日常が、ずいぶんと晴れやかになる。 「ほら着替えて、歩夢。それ着て僕とピクニックしよう」  寒さはいくらか緩和されて、最近はインナーをすこし工夫すればコートもいらない季節になっていた。 「ステバのイチゴモカが今日から発売なんだよね。ちょっと駅前寄ってもいい?」 「ステラバールですか?」 「うん、そうそう。駅前に車停めるスペースないから、僕ちょっと停めてくるね。歩夢はステバ前で待っててよ」 「わかりました」  車から降りると、都会に放り出された気分になる。冬雪と浮世離れした生活を送っているからどうにも落ち着かない。  やっぱりこの色は浮いてるんじゃないだろうか。通行人の視線が容赦なく突き刺さる。  テーラードジャケットはすこしオーバーサイズで、歩くたびに裾が舞う。 「あの、お兄さんすみません」 「はい」  肩を叩かれて振り返る。 「わたくしこういうものなんですが、雑誌でストリートファッションのページを担当していまして、写真撮らせてもらえませんか?」 「えっと」 「いやぁ、素敵な色ですね。春らしくて。お兄さんにすっごく似合ってる」 「でも、僕。あの」 「大希は喜ぶと思うよ」 「冬雪さん」  焦っていたら、隣に冬雪が立っていた。 「宣伝してあげて」  冬雪にそう言われたら断れない。頭のなかの天秤はいとも簡単に自分の羞恥心よりも冬雪の頼みを選んだ。 「僕でよければ」 「ありがとうございます。そしたら、あちらの壁を背にしていただいて」  先ほどよりも多くの注目を浴びている。 「なんか撮影?」「え~あの子、可愛い」「売り出し中の子かな?」「事務所どこだろう」  人通りが多くて、緊張が増す。頭ひとつぶん背の高い冬雪が、暢気に手を振っているのがよく見えた。 「もっと笑顔ください」 「えがお」 「好きな人を思い出すような感じで」  すこし照れたような、はにかんだ笑顔。  ああ、カメラを起動しておけばよかったと思った。歩夢が笑うと、心が暖かくなるような感じがする。 「ありがとうございます。いや~、最後の笑顔いただきました。それじゃあ、あとちょっとだけインタビューさせていただいて」 「はい」  撮影が終わって、錆びたロボットみたいになった歩夢が動き出す。ぎこちない姿はいくら見てても飽きなかった。 「お名前と年齢から」 「歩夢です。年齢はハタチです」 「本日、着用なさっている洋服のブランドは」 「スノードロップです」 「へ~、こういう服も出してるんですね。落ち着いた大人の服メインなイメージがありました」 「あ、でもたぶん一般販売されていないので」 「そうなんですね。じゃあ、非売品って記入しておきますね」 「はい、お願いします」 「お仕事はふだん何されてるんですか? まだ学生さんかな」 「えっと、あの」 「コックでしょ。ちゃんと自信持って」  言い淀んでいたら、冬雪に助け舟をだされた。 「料理を」 「へ~、料理されてるんですね。じゃあ、好きなこと聞いてもいいですか?」 「好きなことは、恋人といっしょにご飯を食べることです」 「料理つくってあげるんですか?」 「はい」 「いいな~。そしたら最後に、あなたの夢はなんですか?」 「えっと、僕の夢は」 「ありがとうございました。あの、お兄さんお友達さんですか? よかったらお兄さんも」 「僕はもうオジサンなので遠慮しておきます。ほら、歩夢いこうか」  保育園のお出迎えみたいに、歩夢は冬雪に駆け寄った。 「歩夢、緊張してたね」 「冬雪さん、ムービー!」 「ばっちり撮りました。いやぁ、ほら見て。最新機種だからズームしてもこんなキレイ」 「やだ、消して」 「もうブラウザにも保存しました」  ポカスカと痛くないパンチが飛んでくる。それを笑っていなしながら、歩夢のご機嫌をとる。 「はやく2人きりになれるところに行こうか」  ほら、簡単に歩夢の機嫌は直る。 「冬雪さん、ついてる」  歩夢の腕が伸びてきて、口元の食べこぼしを取り除く。 「歩夢、食べるの上手だね」 「縦に食べるといいですよ。そう、ラップに包んだままで。ふふ、上手」  へんな扉が開きそうだ。  公園のベンチで歩夢の手作りのサンドイッチを頬張る。ベンチにステバの紙袋を敷いたら「僕、女の子じゃないですよ」って言われた。女の子扱いしたいんじゃなくて、汚したくない。  腹もくちて落ち着けば、すこし空気が重たくなった。陽射しは暖かくて、春の陽気を感じるのに、歩夢があまり喋らないせいだ。 「僕やっぱり仕事探そうと思って」  先ほどのインタビューかと理由が思い当って、手のなかの包み紙をくしゃりと丸める。 「また皿洗いから始めるの?」 「そうですね、そうなると思います」  家賃も生活費も冬雪はいらないって言う。だから冬雪の用意した庭でぬくぬくと日向ぼっこして暮らしているような生活を送っているけれど、それじゃいけないと思った。 「僕がしてほしくないって言っても?」 「でも、迷惑かけたくないです」 「迷惑だと思ってないけど」  せっかく逃げてきたのに、どうしてまたツライ選択肢を選ぼうとするんだろう。  嫌いなものを全部、自分から遠ざけたらストレスフリーな生活を送れる。自分のお気に入りだけを集めた箱庭は居心地が良くて、いつまでも同じところに留まっているような錯覚を覚える。でも、これだけあればいい。  時間の止まった、日常がループする世界。 「動き出さなきゃダメだなって思うんです。僕の母さんもいっつも僕のために頑張ってくれてました」  大事なものを守るためには、我慢も必要だと歩夢は言う。  閉じ込めてちゃいけないんだろうなと思う。冬雪の用意した庭で無邪気に笑う歩夢が好きなのに、どうしてわざわざ危険な外に出さなくちゃいけないんだろう。知らない誰かに傷付けられて悲しむ歩夢を見たくない。  どうしてあげたらいいんだろう。養うって言っても、きっと歩夢は納得しない。  考え込んでいたらスマホが鳴った。 「歩夢、仕事がはいった」  内容を軽く確認して、そうして歩夢に向き直る。 「僕の仕事ちょっと手伝ってくれない?」 「マッチングアプリですか?」 「そうマッチングアプリが主催の婚活パーティーだね。結婚式会場で派手にやるみたい」  すでに協賛してくれる企業も決まっている。それならば提供するスパークリングワインも決まっているだろうに、借りたいのは冬雪の手腕じゃなくて名前だろう。 「僕の名前が使いたいんだろうね。世界一のバーテンダーが認めたとかさ。過去の栄光でもね、その肩書が役に立つこともあるよ」 「僕は何すればいいんですか?」 「パーティーに出す料理のメニュー考えてよ」 「僕、なんの実績もないですよ?」 「実績ならあるんじゃない?」  頭上に疑問符を浮かべる歩夢にそっとフォトグラムを見せる。 「これ、今朝の動画投稿したんですか?」 「しました。しかも今、500万人の人に見られちゃってます」  冬雪が動画の再生ボタンを押す。 「今日は何を作ってるんですか?」 「今日はこれからピクニックに行くのでサンドイッチを作っています」  カメラが手元に寄る。 「どんなサンドイッチ?」 「こっちがサーモンとアボカドとクリームチーズで、こっちが照り焼きチキンとタマゴ。ふふ、わんぱくサンドだからすっごくわんぱくにしちゃった」  天使みたいに涼やかな声で笑う。 「料理のコツはある?」 「具材から水分がでないようにしっかりバターやマヨネーズを塗ることかなぁ。うん、あとは少し休ませて切るだけだよ」 「休ませてる間は?」 「え?」 「僕に構ってよ」  カメラが放置されてアングルは天井を向いている。音声だけがそのままで「待って」や「だめ」を拾っている。  くぐもった音が聞こえていたかと思えば、カメラがようやく正常にサンドイッチを映し出す。 「休ませたら?」 「休ませたら、あとは半分にカットします」 「いっしょにやる?」 「え、でも」 「大丈夫、僕は添えるだけだから」  サンドイッチを目の前に包丁の柄を2人で持った様子が映し出される。 「結婚式みたいだね」  赤くなって何も言えないでいる歩夢に構わず続ける。 「お2人が新しいスタート地点に立ちました。これからの人生の新たな一歩に挑みます。ケーキ入刀です」  歩夢が手を動かせば、美しい断面図が現れる。人参や紫キャベツのピクルス、彩り鮮やかなサンドイッチは実に美味しそうだ。 「以上、美味しいサンドイッチの作り方でした」

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