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10.変化1

「な、七海……いま、ちょっといいか?」 「はい、どうされました?」 「いや……その……」  明日の朝食と弁当はどうしようかと、寝る前に冷蔵庫の中身を確認している時の事だった。  寝ると言って自室へ行ったはずの晴太郎が、静かにリビングのドアを開けた。いつもはっきりと物を言う彼にしては珍しく、歯切れが悪い。  何か用がある時、何かして欲しい時はいつもすぐに駆け寄って来てくれるのだが、リビングの入り口から動こうとしない。一体どうしたんだと七海は首を傾げた。  晴太郎は一向に動こうとしないので、七海は彼の方へ歩み寄る。すると晴太郎は頬を赤くして視線を逸らすように俯いてしまった。そして、下腹部を隠すように自身のスウェットの裾をぎゅっと引っ張る仕草を見せる。  七海は晴太郎のこの仕草に見覚えがある。こういう時の晴太郎の『お願い』は一つしかない。 「部屋へ、行きましょうか」  そっと頭を撫でてやると、彼は小さく頷いた。  普通の使用人はこのようなことは絶対しないし、本当はあまり良くないことだ。しかし、七海は困っている晴太郎を放っておく事が出来ない。   *  晴太郎の『お願い』が始まるきっかけは、彼がまだ高校生になったばかりの頃のこと。  新しい生活が始まり、晴太郎は毎日楽しそうに学校へ通っていた。自立すると言う理由で七海と二人で実家を離れ、寂しがっていたらどうしようかと思ったが、学校が楽しくて寂しさなんて感じる暇が無い様子だ。  そんな順風満帆な日々を送っていたある日。 「坊ちゃん、起きていますか?」  晴太郎がいつもの起床時間が過ぎても起きて来ない。どうしたのだろうかと、心配で部屋まで様子を見に行く。ノックをしたが返事がない。  このまま待っていたら遅刻してしまう。朝は自分で起きられるようにしろ、と社長に命令されていたが、さすがにわざと起こさないなんて意地悪な事は出来ない。 「入りますよ」  失礼します、と一声掛けて部屋のドアを開けると、晴太郎がベッドに座って泣いていた。 「うぅ、ぐずっ……ななみぃ……」 「どうしました?!」  ポロポロと大きな瞳から涙を溢す主人の姿に、七海はぎょっとして駆け寄った。こんな事は初めてだ。学校で何か嫌な事があったのだろうか。 「ああ、こんなに泣いて……目が腫れてしまいますよ。何かあったのですか?」 「……うう、ななみ、俺……病気かも……」  眉尻を下げて涙を流す彼は、駆け寄った七海に抱き付いた。病気と聞いて七海は慌てたが、見たところ晴太郎に異常は無い。額に触れて確認したが熱もないようだ。何があってそのような事を思ったのか全く分からない。  ずいぶん困惑している様子だったので、落ち着かせるために優しく背中をさすった。

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