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3・聖母の鳥-1

 テントウムシが幸運のシンボルとして愛されているのは、ひとえに彼らが『益虫』だからだ。  農業における有名な害虫の中に、アブラムシがいる。葉の汁を吸って萎縮させるだけでなく、病原ウイルスを媒介するので野菜が病気になりやすくなる。テントウムシというやつらは、かわいい顔して肉食性で、そのアブラムシをもりもり平らげてくれる。生物農薬とまで呼ばれる彼らの働きぶりを見れば、殺虫剤の存在しない昔の人々がテントウムシをありがたがった理由も頷けるというわけだ。  彼ら農家のヒーローは海外でもチヤホヤ持て囃されていて、『聖母マリアの鳥』『神のお使い』なんて贅沢な名前で呼ばれていたりする。ヨーロッパなんかではそれ自体が幸運のシンボルで、テントウムシが体にとまるといいことが起こる、とすら言われる。綺麗でつやつやしてかわいいから、だけではなく、彼らが愛されているのには歴史的な背景がある。  ならば、その背景が、存在しなければどうだろう。  テントウムシが『益虫』でなく、ただの『害虫』だったなら、彼らは神のお使いの役目を剥奪されてしまうのだろうか。 「若ちゃん、今日昼飯は?」 「……ん」  覗き込む実体顕微鏡のレンズの先ですっかり死に絶えているニジュウヤホシテントウの、前脚をピンセットで柔らかく摘む。息を止め、指先の筋肉の動きに細心の注意を払いつつ、少しずつその脚を伸ばしていく。  大方の昆虫はそうだが、死ぬと、脚や触角が内へ縮こまる。例えば夏に地に転がっているセミが生きているか死んでいるか見極めるには、脚が開いているかどうかを見ればいい。脚を開いているのはセミ爆弾で、閉じているのは不発弾だ。  セミが爆発するか判定するには便利なのだが、問題は標本にするときだ。脚の形状、触角の形状などは、種を同定するのに肝要となる場合が多い。だから標本を作る際には、閉じた昆虫の死骸の脚を、無理に開かせる必要がある。これがなかなか骨が折れる。 「ねーえ、若ちゃんってば」  骨が折れると言うか、脚が折れる。たただでさえ小さいテントウムシの展足は、難しいし面倒なのだ。 「聞こえてるー? 俺久々キリン堂行きてえわ、あそこのラッシー飲みたい」 「悪い、弁当持ってきてる」  マメだよねえと言いながら友人の増野が去っていく。気さくで誰とでも友達になれてしまう、こざっぱりとした良い奴だ。このゼミに大学院一年生は三人いて、うち一人が増野で、うち一人が僕だった。  綺麗に脚と触覚を開かせて、息を吐きながら顔をあげる。ゼミ生は全員飯を食いに出てしまったらしく、がらんとしていて、ぽつんと残された僕の机には、展足待ちのテントウムシがあと三匹乗っかっていた。  人員不足の当ゼミに於いて、こういった雑用で時間が溶けるのは日常茶飯事だ。院から上の人間はそれなりに在籍してるけれど、いかんせん学部生が少ない。原付バイクのエンジンがかからなくて普段より二時間遅れでやっと研究室に到着した僕にも、教授は笑顔で死骸を託してくる。どうにも安請け合いしてしまうのが良くないのだけど、人手がないんだから仕方ない。  紅蓮がベランダで見つけたニジュウヤホシテントウは、うちのゼミでは研究対象だ。だから紅蓮が連れてきたものを見て、僕はすぐにぴんときたのだ。――これは吉兆でもなんでもないと。

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