18 / 32
4・境界線-3
ゼミ室、実験室は三階にあり今日は立ち入れないので、外から指差しで教えてやる。一階は理学部各ゼミの研究発表がポスター掲示形式で行われていて、学生が時間交代制で来客への説明を担っていた。僕ももう少しで当番の時間だから、ここで紅蓮とはお別れだ。
この時間の当番をしている増野が、僕に気付いて、おお、と手を振る。僕も手を挙げて返し、紅蓮を一瞥した。紅蓮はニコニコして頷いた。
「お疲れー若ちゃん」
「そっちこそお疲れ。えっと、増野、こいつが」
「山田です」
紅蓮が苗字を名乗って、一九〇センチの位置からぺこりと頭を下げる。ルームシェアしている友人が遊びに来ることは教えていた。デカいなーと言いながら増野もひょこっと頭を下げる。
「いつも冬弥が世話になってるようで」
「いえいえ、こちらこそ、若ちゃんがお世話になっております」
「二人は僕の何なんだよ」
せっかくだからいいとこ見せたら? と発表者の位置を譲られる。経済学部出身で理系知識などまるでない紅蓮が興味津々でこっちを見てくる。紅蓮の知らない自分の姿を見せるのは恥ずかしくもあり、若干誇らしい気持ちもした。当番の時間にはまだ早いけど仕方ない、掲示された自分のポスターの研究内容を解説しようとしたときだった。
「あー、もしかして、例の人?」
聞きなじみのある声に振り向いて、いや、誰、と思い、紅蓮があっと声を上げたので僕も気づいた。
「ミスコンの子だ!」
ウィッグに化粧、水色のワンピースというあの写真のままの出で立ちで、西田が手を振っている。
「お前、その格好で来たのかよ」
「増野くんがぁ喜ぶ顔がぁ見たいと思ってぇ」
「なわけねえだろ気持ちわりぃなっ」
くねくねと腰を振る西田に引いてる増野、二人のおかしさに周囲の学生がどっと沸く。
「若宮くんも今年は来てたんだ、ミスコン見た? もちろん投票してくれたよね?」
「うん、こいつが……」
投票してたし鼻の下を伸ばしてるかも、と見上げてみたが、普通にニコニコとしているだけだったのでホッとした。……いやいや、ホッとする理由なんてないのだけれども……。
「……俺に投票してくれたんですか?」
むしろ、そう言う西田の顔色の方に妙にざわつきを覚えて、ハッと緊張が走る。
――普通、男がそんなものくれる? なんか、なんて言うか……。
いつだか、ペンダントを見せたときの、困惑気味の顔が目に浮かぶ。
――その人、もしかして、そっち系の人なんじゃ……。
「あの、若宮くんと一緒に棲んでる人ですよね?」
こぎれいな女装の格好のままでおずおずと話しはじめた西田の声は、まるで深刻な話でも切り出しているかのようで、嫌な予感がする。
「聞いたんです俺、若宮くんテントウムシのペンダントをプレゼントされたって」
『された』って言い方は、無理やり押し付けられたみたいな表現だ。これじゃあ、僕が西田に、あのペンダントを貰って不快になったとでも言ったように受け取られかねない。
「西田、ちょっと」
ああ、でも、僕がここで話を遮るといっそう信憑性が増してしまう気がする。紅蓮は大らかではあるが、決して鈍感ではなかった。きょとんとして僕を見下ろしている顔に、さっきまでのニコニコは半分くらいしか残っていない。
「テントウムシね」
増野がポスターを指差した。僕の研究対象はテントウムシなので、ポスターには数種のテントウムシの画像が載せられている。そうそう、冬弥テントウムシの研究してるんだよな、と紅蓮は顔を上げ笑顔を見せた。
「転居祝いだよ、転居祝い」
「あー確かにテントウムシって縁起よさそう」
増野の言葉に、だよな、と返す紅蓮の変わらぬ朗らかさに、一瞬安堵した。けれどその安堵の首根っこを掴んで引き戻すように、西田が話を再開した。
「でもさ、男から男へのプレゼントがアクセサリーって、かなり意味深だよね」
心臓を、ど真ん中、一突きにされるような心地がする。
僕は何か言おうとした。だけど咄嗟に何を言うべきか分からなくて、結局何も言えなかった。
「俺それ聞いて、もしかしてゲイなの? って思ってさ……一緒に住んでるって言うし、これ、デキてるかも? って」
突き立てられた槍で、体の中を掻き回されるような。
ともだちにシェアしよう!