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6・吊り橋-2
皆でタコパしねぇ? と増野に誘われたのは、雑用も実験もすっかり片付けてしまってからだった。うちのゼミの独り身が集まって開催するらしい。楽しそうではあったけど断って、原付に跨って足早に校舎を後にした。
だって、今日はクリスマスパーティだ。チキンは紅蓮が買ってきて、冬弥はケーキを買う係に任命されている。
なんだよクリスマスに用事ってぇ、と茶化された。まあね、と意味深にはぐらかしてやったが、クリスマスに用事がある、一緒にいてくれる人がいる、ってだけで、僕は幸せだな、と思える。せっかくだから、ごちそうにしよう。シャンパンも買って帰ろう。あとは、サラダとか、酒のあても用意しないと。大学を出るのが遅くなってしまったが、紅蓮も今日は仕事納めだから一層遅くなりそうと言っていたし、今から用意しても多分間に合う。原付が夜道を駆けていく。きらきらの眩しいイルミネーション、毎年うっとおしかったのに、今は心が弾むばかりだ。
家へ向け半分ほど帰ってきたあたりで、急に思い立った。そうだ、紅蓮の職場に行ってみよう。実際に行ったことはないけれど場所は分かる、ここからなら十分とかからない。忙しいんだろうけど、顔をみるくらいはできるかもしれない。昨日の僕は紅蓮の顔を見て元気づいたし癒された。紅蓮も少しは励まされるに違いない。
――きっと、浮かれすぎていたのだと思う。
会社の看板はすぐに見つかった。近くに原付を停め、様子を伺おうとしたとき、僕は思わぬものを見た。
コートにスーツ姿の紅蓮が、向かいの歩道から横断歩道を渡ってくるのだ。
思わず原付の裏に身を隠していた。隠れてから、会いに来たのに何してるんだ、てか相手は仕事中なのに何邪魔しに来てるんだ、と自分の行動に呆れる。
原付の裏からこっそり観察する。仕事している最中の紅蓮って初めて見た。家にいるときや外出しているときと、一見、さほど変わりはない。けれどスーツに革靴でしゃきしゃきと歩いてるのは、学生の自分にしてみればとても遠い世界に見える。営業職だし外回りから戻ってきたのだろうな、と思いつつ見惚れていると、ふと、違和感に気づいた。視線が一点に吸い寄せられる。
ビジネスバッグを提げているべき右手が、へんてこりんなものを握っていた。白い袋。レジ袋。中には赤いバケツのようなものが入っている。袋の中央に、赤い字で、デカデカとローマ字が三文字。
K・F・C……ケンタッキー・フライド・チキン。
紅蓮が、なぜかチキンを提げて歩いている。
一瞬疑問符が浮かんだが、すぐに理解した。仕事、もう終わっていたのか。ケンタッキーでチキンを調達して、これからうちに戻るところなのだ。サンタさんがプレゼントを包んでいるところを目撃してしまったような背徳感がこみあげたが、それも一瞬だった。だって、もう帰れる。いや、原付があるから一緒には帰れないけれど、思ったより早くパーティを開催できる。
柄にもなく舞いあがって、僕は立ち上がって手を振った。
「紅蓮……っ、」
紅蓮が僕に気付く前に、気付けて、助かった。
紅蓮の隣を歩いているスーツ姿の男性が、紅蓮の肩を叩き、親しげに声をかけた。
僕はもう一度原付の裏に飛んで戻った。よく見れば、一人ではなかった。周りには数名の同僚らしき男女がいて、みんな大人で、遠い世界の住人のようで、賑やかに、楽しげに笑いあいながら、会社の入口へ向かっていく。
その中の一人の手に、別の荷物が見えた。白い箱だった。両手で大事そうに抱え得られているそれは、明らかに、ケーキの箱。二人で食べるには大きすぎる、クリスマスケーキの入った箱。
会社のロゴの描かれたドアを開けながら、何か言われて、紅蓮は快活な笑い声を響かせた。僕の聞き慣れた、いつも通りの笑い声だった。おしゃべりに夢中になりながら、他のスーツの人たちと一緒に会社の中へ消えていった。僕にはついに気付かなかった。
せわしなく流れる喧騒の中に、僕はしばらく取り残されていた。
食べるんじゃないか、チキン。会社の人と一緒に。ケーキも食べるんじゃないか。クリスマスパーティをするんじゃないか。遅くなるって、仕事してるんじゃなくて、会社の人とのパーティがあるからだったのか。忘年会みたいなもんか。――なんだ、一緒に過ごす人、いるんじゃないか。しかも明るくてきらきらとした人たちで、僕といるより楽しそうだ。
吊り橋が、急に腐って朽ちていき、突然、足場がなくなる。どこまでも落ちていく。揺れも動きもしない日常の上に着地して、すっかり魔法が解けるのを、僕は少し待ってみた。さっきまでは全然感じていなかった風の冷たさ、イルミネーションの胸をざわつかせる眩さが、急に酷に感じられてくる。けれど、なぜだろう。気持ちはふわふわとしたままで、胸は苦しいままで、かなしいと言う子供じみた気持ちだけ、もやになって僕を埋め尽くす。
魔法、解けろ。はやく、はやく。
戸口に目を向け、原付に跨る。ヘルメットをかぶる。アクセルを入れる。
なんて高い吊り橋の上に立っていたのだろう。どこまでも落ちていって、少し怖くなる。
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