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7・魔法が解けたら-1

 買い物をせずに帰ってきてしまった。ケーキも、シャンパンも、サラダもない。冷蔵庫の中に発泡酒がいくつか入っているのを確認して、まあいいか、と自分を納得させた。  LINEを開くと、増野からメッセージが入っている。ゼミ室に七、八人集まって、センター陣取るたこ焼き器にチキンにケーキ、アルコールもいくつか持ち寄って、楽しそうにやっていた。参加すれば良かったかな。まあ、いいや。どうせ去年も、一昨年も、ひとりきりのクリスマスだった。  冷蔵庫を開いても、紅蓮が帰ってきたら、なんて言うかな、そればかり考えて、ぼうとして頭が回らない。紅蓮はチキンとケーキを食ってきたことを僕に黙っているだろうか。もし黙っていた場合、僕は知らないふりをするべきだろうか。どっちにしろ、飯はあんまりたくさん食わないだろう。ごちそうを作る前でよかった。シチューだったらそれらしいかな、と思いつき、使いかけのシチューレトルトを取り出した。  白菜。人参。玉ねぎ。ジャガイモ。鶏は冷凍の胸肉だ。適当に切って、適当に炒める。作ってもな、腹いっぱいって言われたら悲しいな、まあ明日食べればいいや。  ――何で拗ねてるんだろう僕は。入れすぎたサラダ油が跳ねて痛い思いをしつつ、目の前に浮かぶのは、会社の人と笑っていた紅蓮の楽しそうな顔ばかり。ちょっと外でご飯食べてくるくらいでどうしてこんなに悲しいんだろ、いままでだって晩飯食って帰ってくるくらいのこと何回もあった。紅蓮はいつもちゃんと晩飯食って帰るって報告してくれるから作ったものがむだになったことはないけれど。  紅蓮は多分僕の作った飯も食うだろう、と思った。冬弥の飯はいつもうまいなあ、と感心しながら食べてくれるところが、目に浮かんでくるようだ。会社でのクリスマスパーティが突発的なのかあらかじめ決まってたのかは分からないけれど――いや、突発的だったんだろう。クリスマスパーティしようと言ってきたのは紅蓮なのだし――、紅蓮はたとえ腹がいっぱいでも、僕の作った飯を、うまいと言って食べるに違いない、あいつ優しいから。  そんな優しさは嫌だった。  あれも、嘘だったんだろうか。おいしいって言ってたのも。IQが上がったとか言われていたのも。まだ嘘を吐かれると決まったわけじゃないのに、絶望的な気持ちはどんどんとかさを増していく。おいしくなくても、うまいって言ってくれてたんだろうか。たいして感謝してなくても、ありがとう、って、言ってくれていたんだろうか。それでもよかった。騙されていてもよかった。でも騙されていたと知った以上、知らなかった頃には、もう戻れない。  ケーキ、買ってきてないの、なんて言おう。コンビニで買ってくるかな。この時間だともう残ってないかな。忘れてた、って言えばいいか。流石に不自然か。不自然だし、嫌われるよな。  好かれてないんだから、嫌われたっていいよな。  心の中にいるもう一人の僕が、僕を慰めようとするみたいだ。好かれてないんだから。思われてなかったんだから。せっかくのクリスマスを僕なんかと一緒に過ごしたいって、思ってくれてたわけないんだから。  ほんとは、ほんとは、嘘とかじゃなくて。僕以外の誰かと僕のいない世界でクリスマスパーティを楽しんでることが、なんだか嫌で、嫉妬して、ああこれじゃまるで面倒くさい彼女じゃないか。付き合ってすらいないのに。  締め付けられるような痛みで、苦しい。黙ってシチューをかき混ぜながら僕は唇を噛みしめる。馬鹿だな、僕、このままじゃシチューをしょっぱくしてしまう。魔法、いつになったら解けるんだ。なんで、魔法、解けないんだ。  僕、明日もこの家にいてもいいんだよな?  年末も、いてもいいんだよな?  ――がちゃ、と錠の回る音。 「ただいまー! すまん、遅くなったー」  いつも以上に快活な声、眩しい笑顔が、陰鬱な室内に飛び込んでくる。僕が返事をできずにいると、 「ほれ、チキン!」  ずい、と目の前に、レジ袋を差し出される。  KFC。ケンタッキーフライドチキン。それも、バケツじゃない。箱だ。さっきみたいに大所帯じゃないから当然だが、あらためて買ってきたらしい。 「ん?」  何も言わない僕に、無垢と言ってしまいたくらい邪気のかけらもない紅蓮が、こてん、と小首を傾げて見せる。  知らんぷり、しようと思えばできると思っていた。顔を見ても平然としていられると思っていた。なのに、どうして、いつもの笑顔を見るだけで、こんなに心を揺すぶられて、ぐしゃぐしゃになって、もう分からない。 「さっき食ってたじゃないか……」  と、季節外れの冬のハエがよろよろと飛んでいるみたいな声で、僕はやっと振り絞った。

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