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第7話 闖入者

 「じゃあ、またね」と、孝介の姿がリビングから消えるのと入れ替わりに、「こんばんはぁ」と、玄関から声がした。  貴樹が廊下に出ると、同い年くらいの少女が立っている。  その傍らで、スニーカーに片足を突っ込んだ孝介が、口をぽかんと開けて少女を見上げていた。その呆けた顔に、「コウスケ」と声をかけて現実に引き戻してやる。我に返った彼は、「じゃあ、またね」と、さっきと同じ挨拶をして出て行った。  少女は、スニーカーの踵を踏んだまま去っていく孝介を笑顔で見送り、その表情のまま貴樹に向き直った。  だが、貴樹には、少女の顔に見覚えがない。  はっきりとした目鼻立ちに、シャープな顎のライン。栗色のショートカットが、ボーイッシュな雰囲気によく似合う。ショート丈のパーカーに、デニムのホットパンツ。チャコールグレーのタイツを履いた脚は細くて長く、ティーンズ誌に出てきそうな雰囲気だ。  貴樹の知り合いに、ここまでオシャレに気遣う者などいない。  「タカちゃん? タカちゃんだよね。うわー、懐かしーっ!」  少女は、貴樹の両手を取った。  その馴れ馴れしさに、腰が引ける。  「ええーっと……どちら様、ですか?」  「タカちゃんたら、冷たーい。忘れちゃった? アキラだよ、柴山アキラ」  「えっ? アキラって、あの、通りの向こうに住んでた、アキラちゃん?」  「そう。ヒドイよ、タカちゃん。顔見ても判んないなんて」  「仕方ないだろ。アキラちゃんが引っ越したのって、小学生の時だぞ。全然面影ないしさ……」  今、高校二年生かと思いつつ、貴樹はアキラの手をさり気なく解いた。  柴山アキラは一歳年下の幼馴染で、八歳の時には父親の仕事の都合で引っ越していった。  アキラにはアサヒという双子の兄がおり、貴樹や俊介と遊び始めたのはアサヒの方が先だった。そこにアキラが加わり、面倒見のいい俊介の後をついて回るようになったのだった。  「俊介、まだ帰ってなかった?」  「えっ?」  「俊介がいなかったから、ウチに来たんじゃないのか?」  「迷惑だった?」  「そういう意味じゃなくてさ。俊介に用があって来たんじゃないのかと思ってさ」  「勝手に思い込むとこ、昔から変わらないよねぇ、タカちゃん」  クスッと笑うと、アキラは、「お邪魔しまーす」と、細長い足で玄関の式台をひと跨ぎにする。  玄関に、大型のスーツケースが一つ残された。  「アキラちゃん、このスーツケース……」  言い終わらぬうちに、リビングからアキラが叫んだ。  「ああ、それ。ワタシの部屋に置いといて!」  「私の部屋?」  意味が解らずリビングに行くと、アキラから通話中になっているスマホを渡される。  「玲香おばさん。話は通ってるから」  更に事情が理解できぬまま、「もしもし」と呼びかけると、玲香の声がスピーカーから一気に流れ出してきた。  『アキラちゃん、今日からそこに住むから。由紀が使ってた部屋、そのままになってるでしょ。ベッドも机も自由に使ってもらいなさい。タンスの中に何か残ってたら、捨ててちょうだい。アキラちゃんが住みやすいようにしてあげるのよ。じゃあ、よろしく』  「ちょっ、と……」  貴樹に話す間も与えず、言うだけ言って電話は切れた。  そばで聞いていたアキラが、「そういうことだから」と、貴樹の手からスマホを奪い取る。  「ダメダメ。ダメに決まってるだろ。っていうか、何で母さんの連絡先知ってるんだよ? 俺だって知らないのに」  「しょうがないなあ。スマホ出して」  言われるがまま、尻のポケットからスマホを出す。  アキラは二台のスマホの画面を何度かタップして、「それ、おばさんの連絡先だから」と、貴樹に返した。  「いや、だから、そういうことじゃなくてさ」  「だったら何?」  「家出てった母さんが許可することじゃないし……。そもそもマズイよ。オヤジ、滅多に帰ってこないからさ」  焦る貴樹を見て、アキラはニヤリと笑った。  「タカちゃん、ワタシと一緒に生活するのが照れくさいんだぁ。もしかして、年頃になったワタシにヒトメボレしちゃったとか? 大丈夫だよー。ワタシ、タカちゃんのこと、タイプじゃないしー。ああ、でも、ノゾキとかしたら、おばさんに言いつけちゃうからねー」  「するかよ。そうじゃなくてさ、近所の人に見られたら困るだろ。一つ屋根の下に高校生の男女が住んでるなんて、格好の噂話だ。そういうの、嫌なんだよ」  玲香が出て行った後、貴樹は、周囲の目が自分に向いていることに気が滅入った。  親切心で見守ってくれていたのかもしれないが、常に監視されているような気がして、家に入るまで自分を律した。注目されるのはその場に残された方だということを、出て行った者は考えもしない。だから母は、アキラを同居させることに戸惑いがないのだろう。  勝手が過ぎる玲香にうんざりする。  「そんなこと言ったって、おばさんが……」  貴樹の言い分に、アキラは鼻に皺を寄せて抗議した。貴樹が玲香に弱いことを、この僅かな時間に見抜いてしまったらしい。  「なら、せめて、俺に馴れ馴れしくするな。タカちゃんって呼んでベタベタしないこと。出かけてから帰ってくるまで、高校生らしい振る舞いをすること。近所の人に会ったら、礼儀正しく挨拶すること。この家に友達を呼ばないこと。俺と同居してることは友達にも言わないこと。それから……」  「わかった。もういいよ。要は他人のフリをすればいいってことでしょ。学校でも知らん顔するから安心してよ」  「学校、って?」  「今日から、タカちゃんの後輩だから。おばさん、言ってなかった? 直ぐには友達ができないだろうから、何かあったらタカちゃんを頼りなさいって言われたけど、まあ、いいや……」  「はあっ?」  「だから、もういいって。ここで暮らすことはウチの親とおばさんしか知らないし、ご近所さんに聞かれたら親戚ってことにする。それで良いよね」  声を上げたまま固まっている貴樹をその場に残し、アキラは、玄関のスーツケースを軽々と持ち上げて二階に上がった。

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