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第9話 求めてしまうから

 アキラは、放課後の練習だけでなく、朝練まで付き合っていた。  コンビニで朝食を買うついでに、俊介の分も買っていたという話を聞き、「俊介はパンより飯派だぞ」と貴樹が教えると、「それならお弁当作る」と言い出した。  学校帰りにスーパーで食材を買い、料理のレシピサイトを見ながら、貴樹が夕食の片づけをした後のキッチンで何やら切り始める。  その不規則で、鉈でも振っているような大きな音に、貴樹は気が気でなかった。  「冷凍食品とか入れろよ。旨くて便利なやつがいろいろあるからさ」  つい口を挟むと、「それじゃあ、手作りにならない」と、アキラはむくれた。  まな板の上には、不揃いの厚さのニンジンが不恰好な星型に切り取られている。  「それ、どうするの?」  「付け合わせのグラッセにする」  「何の付け合わせ?」  「ハンバーグ」  「言っとくけどさ、俊介のおばさん、惣菜のデリバリーの店やってるからね。俊介はプロの味で育ってるから、不味いものは食わないぞ」  「知ってるよ。でも、たまには他の味も食べたくなるもんでしょ。ステーキばっかり食べてると、お茶漬け食べたくなるって言うじゃない」  自分の料理が、お茶漬けにさえ該当しないことを、アキラは理解していない。  「たかが付け合わせに時間かけ過ぎだよ。ちょっと、どいて」  ニンジンを均一の厚さに切り直すと、引き出しから型抜きを出して、梅の花の形に切り抜いた。  「えーっ、可愛くない」  「いいんだよ、可愛くなくて。運動選手の弁当は見た目より量とバランスなんだから。これでも譲歩してるの。で、ハンバーグのタネはできてるのか?」  「タネって?」  「焼く前の肉だよ」  「これから調べる」  「ふざけんなッ」  その先の作業は、ほとんど貴樹がやった。  普段は弁当など作らないが、ついでだからと多めに作る。ニンジンの切れ端を混ぜたハンバーグとニンジンのグラッセ、粉吹き芋。冷蔵庫にあったブロッコリーを茹で、それでも足りない気がして玉子焼きを作った。  「タカちゃん、主婦だね。ううん、お店開けるよ」  とっくに戦線離脱して観戦者にまわっていたアキラが、玉子焼きの切れ端を摘んで、その味に感嘆した。  「お前も味覚がお子ちゃまだなぁ。こんなんでプロになれるわけないだろ。これは、家事が嫌いな手抜き主婦の味なんだよ」  「何それ」  口を尖らせながらも、アキラは玉子焼きをもう一切れ口に放り込む。  料理が苦手な玲香は、和食を作る時でも出汁をとったことがない。卵焼きも同様で、多めの砂糖と僅かな酒と醤油を入れただけの溶き卵を丸いフライパンでクレープのように焼き、フライ返しでクルクルと巻くだけだった。  玲香がいなくなって、出来合いの弁当に飽きた貴樹は自分でも料理を作るようになった。簡単な炒め物や煮物ならレシピサイトなど見ずに作れたし、玲香の作った料理よりも好みの味にすることができた。それでも卵焼きだけは幼い頃の味覚のままで、何度か試行錯誤して玲香の味を再現した。  巻きの回数が少なく、ペラペラで甘いだけの卵焼きを、幼い頃、俊介と孝介は「ウチのよりおいしいよ」と言ってよく食べた。  片倉家のプロの味に慣れた俊介が、今もこの味に満足してくれるか不安はあるが、頬張る姿を想像するだけで嬉しくなる。  「タカちゃんてさあ、料理好きなんだね」  「別に好きじゃないよ。手作りがいいなんて言いながら、誰かさんが何にもできないから、仕方なくやってるだけだろ」  「それにしては楽しそうなんだけど」  アキラに指摘されて、貴樹は知らぬ間に上がっていた口角を無理に下げた。  「これ、三人分だからな。明日の朝、俊介の弁当に全部詰めるなよ」  「はーい」  「それから、次からは冷凍食品も買ってこいよ」  「はいはい」  アキラは不満気に返事をして、「後片付けもよろしくね」と、二階に上がっていった。  出来上がった料理を大皿に盛ってテーブルに並べてみる。子供の頃の賑やかな食卓が思い出された。  大皿料理は早い者勝ちで、小さい割に大食漢の孝介に先を越されることが多かった。ひと口サイズのハンバーグが山盛りに出てきた時も、孝介の食欲は凄まじく、食の細い貴樹の分にも手を伸ばした。俊介が「それは、タカちゃんの分だぞ」と嗜めるが、孝介は「だって、タカちゃん、食べてないもん」と口を尖らせる。「僕はいいから食べなよ」と、貴樹が年上ぶってみせると、俊介は、自分の箸でハンバーグを摘み、貴樹の口の前に「あーんして」と差し出した。  戸惑いつつも口に入れる貴樹に、俊介は「美味いよな」と優しく笑いかける。そして、「タカちゃん、赤ちゃんみたーい」と野次る孝介には取り合わず、「好きなものを後回しにしてると、先に食われちゃうよ」と、砂糖たっぷりの玉子焼きを貴樹の茶碗に乗せてくれた。  ただそれだけのことが、堪らなく懐かしい。あの頃は、手を伸ばせば届くところに、いつでも俊介がいてくれた。  翌朝、貴樹は、アキラが登校するのを見送った後、隠れるように後をつけた。グラウンドに直行するのを確認し、スタンドの最上階から顔だけ覗かせる。  アキラは、陸上部員たちから離れた校舎の陰にクーラーボックスを置き、俊介が一本走り終える度に、タオルとペットボトルを取り出して彼の元に駆け寄った。  貴樹のデジタルカメラのレンズは、俊介とクーラーボックスを何度も往復した。その途中で、他の部員たちの冷たい表情を捉えてしまう。それがアキラに向けられたものか、行き過ぎたアキラの行為を許容する俊介に向けられたものかは解らない。それでもアキラは、俊介のことしか目に入っていない様子で、いそいそと彼のサポートをしていた。  結局、朝練が終わって俊介が教室に入るまで、クーラーボックスから弁当箱が出されることはなかった。  「何を期待してるんだよ」  貴樹は、自分を戒めた。  食べてくれるだけで嬉しいはずなのに、俊介の美味しそうに食べる笑顔が見たくなり、さらには、貴樹が作ったことに気づいて欲しいと思う。その次は、褒められたいと願うだろう。  弁当を褒められたら、次はもっと他のことまでしてやりたくなる。体に触れるほど近づくことさえできないのに、その先の、絶対に叶えられそうにないことまで望んでしまうだろう。そしてきっと、俊介にしてやったことと同じ分だけ自分にもして欲しいと密かに求めてしまうのだ。欲望には果てしがない。  「アキラとは違うんだ」  そう強く意識していないと、身の程を忘れてしまいそうだった。

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