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第10話 彼氏になって
次の日から、アキラは一人でキッチンに立った。
二、三日は肉を焼いたり野菜を炒めたりしていたが、そのうちの何品かが出来合いのおかずになり、一週間もしないうちに、冷凍食品の詰め合わせになった。手抜き弁当の証がゴミ箱に増える度、俊介が気の毒になったが、貴樹は手を出さなかった。
それから数日後の昼休み。
パンを買いに教室を出ると、アキラが、三年の教室が並ぶ廊下を前のめりで歩いて来た。手には、冷凍食品満載と思われる弁当箱を持っている。
アキラは俊介の教室の前で足を止め、廊下の先にいる貴樹を挑発的に睨んだ。そして、そのふてぶてしい顔を一瞬で笑顔に変えると、体の向きを九十度回転させて、「シュンちゃーん!」と、教室の中に入っていった。
貴樹は思わずドアの陰に隠れ、中の様子をうかがった。
「はい、どうぞ」と、アキラが弁当を差し出す。
俊介は、受け取ることを躊躇っているようだった。
「アキラちゃん。だから、俺、そこまでしてもらわなくてもさ……」
やんわりと断ろうとする俊介の手を、アキラはグイッと胸元に引き寄せた。周囲のクラスメイトの目など気にも留めない。
「シュンちゃん、彼氏になって!」
教室の中が、一気に騒めく。
「いや、えーっと、アキラちゃん、それは、さあ……」
「答えは急がないよ。だって、小さい頃からずーっと好きだったんだから。卒業まで待っても平気」
戸惑う俊介に一方的に言い放ち、「じゃあまた、部活でね」と、教室を出ていく。
貴樹は唖然として、通り過ぎていくアキラを目で追った。だがアキラには、貴樹のことなど、もう眼中にないようだった。
その日の午後は、貴樹の教室でも、アキラと俊介の話題で持ちきりだった。
話題になっている二年の転校生が、三年生の教室で人目を憚らず告白したのだ。俊介に好意を抱いている女子たちが黙っているわけがない。
「片倉君、どうするのかなあ」
「そりゃあ、断るでしょ。だって、ミス鷺ヶ原の告白だって断ったんでしょ。彼女が断られたから諦めたっていう女子もいるんだよ。告白して撃沈するくらいなら、友達のほうがマシって」
「だけど、趣味が違うだけかもしれないよ。あの子、可愛いし。なくはないかも」
「それに、幼馴染らしいよ。小さい頃から知ってるって、ずるいよね。あっという間に懐に潜り込んだ感じじゃない」
女子が羨む横で、アキラのことを可愛いと言っていた連中も、教室中に聞こえる音量で話している。
「まさか、あの二年、マジもんのおカマだったとはな」
「ヤレる、ヤレないどころか、こっちがその気なら、いつでもウエルカムってことだよな」
貴樹は、あちこちで囁かれる全ての話に耳をそば立てていた。だが、彼らの話の意味だけは理解できない。
彼らに近い席の女子も貴樹と同じ疑問を持ったようで、「何言ってんの? 訳解んないんだけど! 声デカイし!」と、怒鳴った。
その言葉を待ってましたとでも言うように、彼らは、「だって、なー」と顔を見合わせ、得意満面になる。そして、教室中の話題を掻っ攫うように声を張った。
「あいつ、男だぜ。スカート履いて化粧してるけど、体は立派な男!」
一瞬、水を打ったかのように静まり返ったあと、「バッカじゃないの」という女子たちの小声が漣をたてた。
「はああッ?」
その波に完全に遅れて貴樹が立ち上がると、弾みでバタンと椅子が倒れる。
普段物静かな貴樹が、彼らと離れた席であげた奇声に皆の視線が集まるが、それも束の間。貴樹が椅子を起こす頃には、男子も女子もそれぞれの話の続きに戻っていた。
「片倉がOKしたら、あいつもホモってことだよな」
「いくらミス鷺ヶ原でも断られる訳だ」
「ホモなんて、変な言い方しないでよ」
「そういうの、LGBTっていうんでしょ」
「あの二人なら、ちょっと許せちゃうかも」
「片倉君が、あの子を男子だって知らないのかもよ」
「それ、ありえるゥー。私、今まで、女の子だと思ってたもん」
「だろ。俺たちも、二年の後輩に聞いてビックリしたんだよ」
「誰か、教えてあげた方がいいんじゃないの?」
「でも、幼馴染なんでしょ。ありえなくなーい?」
二人の噂が、いつもはバラバラの教室を一つにする。
貴樹には、彼らの話がネット上で展開される虚構のように思えてならない。誰かがついた一つの嘘が真しやかな尾びれ背びれをつけて、拡散された時には事実の如く認識される。噂の元を辿れば、何一つ確証などないただの噂だということはよくある話だ。
だいたい、アキラが男の体をしているなんてバカげてる。女子だから、俊介に告白することが許されたのではないのか。
だが、許されるって誰に?
親か。世間か。それとも……。
親が諦めていると言ったのは、そういう意味なのだろうか。だが、俊介に告白するなら、女子のままでいいじゃないか。それとも何か事情があって、手術でもしたのだろうか。それなら何故、女子の格好をしているのだろう。
何一つ答えを見つけられないまま、連鎖的に疑問が湧いてくる。
そして、絡み合った疑問の中から、不意に一つの仮説が浮かび上がってきた。
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