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第12話 幼いキス

 俊介とは、貴樹が陸上を辞めるまでいつも一緒だった。  物心ついた時には既に隣にいて、一緒にいるのが当たり前。幼稚園も小学校も中学校も一緒で、小学校の時はクラスもずっと同じ。登校も下校も一緒で、遊ぶのも一緒。俊介の父親が亡くなってからは、夕食もお風呂も一緒だった時期もあった。  幼稚園の頃からリーダー格だった俊介は、交友関係が広がるにつれて多くの友達ができたが、その輪に入れない貴樹を見つけると、友達との遊びを中断してでも貴樹を優先してくれた。そんな関係に慣れていて、俊介は自分だけのものなのだと、貴樹は勝手に思い込むようになっていた。  だがそれも、小学校に入学して間もなく変化が訪れる。  日曜日の隣町の公園。  貴樹と俊介は、まだ幼い孝介をおぶった裕子に連れられてピクニック気分を楽しんでいた。  芝生にシートを敷き、裕子が作った弁当を広げる。タコ型のウインナーや、ふりかけがまぶされた俵形の小さなおむすびなど、子供にとって魅力的なおかずもたくさんあったが、貴樹と俊介は、早く二人で遊びたかった。  そこに、同い年くらいの男の子と女の子を連れた女性が、「ご一緒しても良いですか」と、入ってきた。女性は、通りの向かいに越してきた柴山だと名乗った。男の子と女の子は旭と晶という名の双子で、貴樹と俊介より一歳年下だった。  夫の仕事の都合で引っ越してきて、隣町にある私立の保育園に入園させたがなかなか友達ができなくてと、双子の母親は声をかけてきた理由を話した。  面倒見の良い裕子は、彼女たちを直ぐに受け入れた。そして、食事もそこそこにスニーカーを履き始めた俊介に、「四人で遊んできなさい」と命じたのだった。  初めは二人とも母親の傍を離れなかったが、俊介が旭の手を取って走り出すと、帰る頃になって、晶も俊介の手を握って離さなくなった。貴樹が繋ぐはずだった手は、両方とも双子のものになってしまっていた。  そこからは、学校から帰ると、いつも四人一緒だった。  貴樹が俊介の家に遊びに行くと、既に旭と晶が来ていて、彼らが好きなゲームをしている。「公園で遊ばない?」と誘っても、「アサヒちゃんとアキラちゃん、どうしてもゲームがしたいんだって」と、俊介は彼らの遊びを優先した。  どんなに友達が多くても、最後は自分を選んでくれた俊介が、もう言うことを聞いてくれない。  ある時、貴樹は、「僕、公園で遊びたいから帰る」と、拗ねてみた。  俊介の家の廊下をゆっくり歩き、階段を降りる時は一段ずつ両足を揃え、スニーカーの紐を全部解いて結び直す。直ぐに俊介が止めに来てくれると思ったが、期待は裏切られた。  公園になど行きたくはなかったが、意地になって近所の小さな公園を目指す。  歩きながら、涙がポロポロと零れてきた。人に見られるのが恥ずかしくて、早足になる。公園についても涙は止まらず、滑り台の下に隠れて涙を拭いた。  それからどれくらいの時間が経ったか定かではない。俯く貴樹の目の前に、俊介のスニーカーが現れた。  「タカちゃん、ごめんね。アサヒちゃんとアキラちゃんは家まで送ってきたから、二人で遊ぼうよ」  俊介が、隣に腰を下ろした。  涙の跡を見られたくなくて、貴樹は顔を背ける。  「タカちゃん、こっち向いて。あやまるから、ゆるして。ねッ」  何も悪くない俊介に謝られて、貴樹は機嫌を直すタイミングを失う。何も言えずに俯いていると、俊介の両手が貴樹の頬を包み込んだ。その掌が導くままに、俊介の顔を見る。  すると、彼の顔が真っ直ぐ近づいてきて、貴樹の唇にチュッとキスをした。  その後のことを、貴樹は覚えていない。  俊介とどんな言葉を交わし、どんなふうに仲直りして、どんな遊びをしたか。  もしかしたら、キスされたこと自体、夢か妄想だったのかもしれない。俊介がキスしてきたのはその時だけだったし、友達とキスで仲直りできるなんて、考えたこともなかったから……。  幼い頃の記憶は、時と共に流れる。まして毎日一緒にいる二人にとっては、日々新たな記憶が上書きされていく。  いつの間にか忘れていたはずが、中学二年に進級したばかりのある日、その時の妄想にも似た夢を見た。  俊介が、涙の跡が残る貴樹の頬を優しく包み、顔を寄せてくる。その顔は徐々に成長して、中学生の俊介になった。視点が合わなくなるほど顔が近づいて来て、柔らかい唇が真っ直ぐに合わせられる。夢の中で、体験したことのない感触に驚いて目を覚ますと、貴樹の股間はオネショをしたように濡れていた。  その時の貴樹は、人より少し遅い体の変化より、そのきっかけが俊介であることにおののいた。そして初めて、俊介に対する気持ちに気づいたのだった。  俊介は、一番仲のいい友達ではなく、一番好きな人だった。幼馴染だからいつも一緒にいたのではなく、好きだから一緒にいた。  「僕だけを見て欲しい」と言った、旭の真っ直ぐな言葉に、貴樹はその時の気持ちを思い出していた。

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