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第15話 答えは出ない

 旭がいる時は覗くのを止そうと思うのに、放課後になると貴樹の足はスタンドに向いた。  昨日、レンズの中で旭が見せた恥じらいは、俊介のどんな言葉に対するものなのだろうか。俊介は、もう告白に応えたのだろうか。もし断ったのなら、旭はあんな顔するだろうか。断られてまで、俊介にくっついて回るはずがない。だが二人がいつも通りということは、まだ進展がないということだ。  ぐるぐると考えを巡らせて、希望が持てそうなところで折り合いをつける。そうでもしなければ、人に言えぬ苛立ちを抑えることができなくなりそうだった。  トラックの中に入ってきた俊介が、ウォーミングアップを始めた。カメラのフレームに旭が入っていないというだけで気が休まった。  「あなた、どうして職員室に来ないの?」  ファインダーに映る俊介を追っていると、背後から玲香の声がした。慌ててカメラを下ろし、コンクリートの階段しか写っていないビューファインダーを手で覆う。  「僕、呼ばれてません」と答えるが、彼女は両手を腰に当てて不満を露わにしていた。  「あなた、昨日、バイトだったのよね。そのバイト、世話をしたのは私です。だったら、報告があって然るべきじゃないですか。そんなことでは、社会人として失格ですよ」  「まだ学生です」という言い分が、玲香に通用しないことは解っている。  「すみません。うっかりしてました」  とりあえず謝ると、玲香は、「今度から気をつけるように」と言って、隣に座った。  「それで、初めてのバイトは、問題なく終わったの?」  「撮影した写真をチェックしてもらって、次回も頼むと言われました」  バイトの内容については、殿村から聞いているはずだと踏んで、要点だけを話す。  「そう。それなら結構。カメラは、そのデジカメを使ったの?」  「はい」  「そうよね。使い慣れている方が良いし、失敗しても削除できるから」  そこまで把握しているのかと、貴樹は呆れた。  「あの俊介くんの写真は、フィルムで撮ったのよね」  「はい」  「私が置いていったカメラかしら」  「はい。……あっ、使っちゃいけませんでしたか」  「いいえ。あなたが使ってくれるなら、置いていって良かったわ」  玲香が、自分の気持ちを言葉にするのを、貴樹は久しぶりに聞いた気がした。  子供の頃、玲香はいつもカメラを首にぶら下げていた。  家で俊介と遊んでいる時も、隣家とピクニックに行く時も、常に由紀や貴樹にレンズが向けられ、それが何冊ものアルバムになっていた。今思えば、教職を辞して家に入った玲香の自己表現の一つだったのかもしれない。  愛着のあるカメラを置いていった理由を聞いてみたい気はしたが、玲香が素直に話すとも思えない。その代わりというわけではないが、気まずい時間をやり過ごすために、貴樹は殿村のことを話題にした。  「殿村さんは、母……谷川先生の写真部の後輩だったそうですね」  「彼、何か話した?」  「いえ、特には」  話が業務命令のようだと言っていたことは、今後のために伏せておく。  「あっ、そ」  玲香の返事は素っ気ない。  話す気がないのだと判断して、貴樹はそれ以上、聞くのをやめた。そして、彼女にしか相談できないことを尋ねてみた。  「実は、殿村さんにバイトの時に着るスーツを用意してもらったんです。ちょっと高そうなのでお金を払ったほうが良いと思うんですが、どうしたら良いですか」  玲香は小さく咳払いして、「殿村くんは何て?」と返した。  「支給したものだから、心配いらないと言ってました」  「それなら、それで良いでしょ。高校生のあなたが気にすることじゃないわ」  社会人と言ってみたり、高校生と言ってみたり、今日の玲香は一貫性がない。  勝手で、強引で、説明不足なんだよなあ、と心の中で嘆いて、思い出した。  「谷川先生」  「はい?」  敢えて感情を抑えた呼び方に、玲香も何かを察して返事する。  「旭のこと、僕にウソついてましたね」  「そうだったかしら?」  「ついてたじゃないですか。『アキラちゃん』って言いましたよね、旭のこと」  「この学校では、『アキラ』よ。柴山アキラ」  「それは、あいつが嘘を書いたからですよね。それを知ってて、谷川先生がアキラって呼ぶのはマズくないですか。おまけに女装までして晶ちゃんのフリして。俺も俊介も迷惑してるんです。教師として、そんなこと許しちゃいけないんじゃないですか」  しらを切り続ける玲香に、つい反抗的な口調になった。だが、玲香は冷静だった。  「あなたと俊介くんが、どうして迷惑なんですか?」  「そ、それは……」  理屈に合わない話を、玲香は嫌う。  それを知りながらつい口走ってしまったことを、貴樹は悔やんだ。  「……すみません。撤回します」  玲香の眉間のシワが、瞬時に伸びる。  「彼は、私と校長に直訴しました。名前のことも服装のことも、私たちを納得させるだけの理由を話して、きちんと説得したんです。それに、『アキラ』というのは、あくまでも校内での呼称。正式な書類には『アサヒ』と記しています。だから、あなたが私を糾弾したり、ましてや彼を嘘つき呼ばわりするのは筋違いです」  「理由って、何ですか?」  「それは、今ここで、私が話すことではありません。知りたかったら、彼に聞きなさい。一緒に生活しているんだし、ついでに、迷惑してるって言えばいいでしょ。だいたいね、誰かに言われたからって何の疑問も持たず、知ろうともせず、第三者の口から真実を聞こうとすること自体、不合理な話じゃありませんか」  正論すぎて、言葉がない。  だけど……。  「もしも……、もしも学校が許したことで、苛めのターゲットにされたらどうするんですか」  「それは自己責任です」  「そんなぁ……」  「彼も承知していることです」  玲香はきっぱりと言い切った。  釈然としないが、それ以上抗議できるだけの材料がない。  ついさっきまでの親子の会話が、居心地の悪い空気にかき消される。トラックにカメラを向けることもできず、貴樹は、フォーカスリングやズームリングを弄って間をもたせた。  「あなたはどうなの?」  短い沈黙の後で、玲香が聞いた。  彼女の口から具体性に欠ける言葉を聞くのは初めてで、貴樹には答えようがない。  「何が、ですか?」  「鷺ヶ原は、自由闊達であることを重んじる学校よ。生徒を縛る校則はほとんどないと言ってもいい。本人の意思が明確なら、大抵のことは聞き入れられる。あなたは、他では得られない自由を、有効に使っているかしら」  玲香が真っ直ぐに見つめ、貴樹に答えを問う。  一緒に暮らしている時にも、こうした問いかけは何度かあった。だがそれは、どれも具体的な問いだった。  姉の由紀に他愛もないいたずらをした時には、「この程度のいたずらなら許されると思ったの?」  中学三年の夏休みに、家から一歩も出ずに勉強していると、「中学最後の夏休みを勉強だけで終わらせるつもり?」  貴樹は、その度に精一杯の答えを捻り出してきたが、今の質問には直ぐに答えられそうにない。  「波風を立てないことが良い生徒の条件じゃないのよ」  玲香を説得できるだけの回答が見つからず黙り込む貴樹に、彼女はポツリと言った。

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