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第21話 最後の思い出
パソコンの処理能力は変わらないのに、今日はやけに遅く感じる。
三度目のバイトの手応えは悪くなかった。
漸く作業終了のデジタル音が鳴ると、貴樹は、近くでコーヒーを淹れている殿村にわざわざ報告した。
一カット目から順に、画像データが開かれる。クリック音の間隔が徐々に短くなり、余興のあたりの写真で、殿村がクスリと笑った。
「そうそう、この人、ノリ良かったよね。新郎側の出席者なのに、新婦の友人の余興にも飛び入り参加してた。いい披露宴だったなあ」
「そう、ですね」
写真の評価より先に、披露宴の感想を言われたことに、貴樹は面食らう。
「写真を見て、お客さんがこんな風に楽しんでくれたら、最高だと思わない?」
「はい」
「良いと思うよ。良い写真が多くて、セレクトするのが難しいくらいだ」
「あ、りがとう、ございます」
ホッとして、貴樹はつい大きな溜息をついた。
殿村が、「ハハハッ」と、短く笑い、「少しは楽しめたみたいだな」と目尻を下げる。殿村の前で素の自分を晒してしまったことが、何と無く照れ臭い。
「貴樹くん。そういえば、コンテストの写真、被写体の許可は取った?」
「あっ、はい、一応」
心許ない言い方に、殿村が探りを入れる。
「もしかして、コンテストに出す気がない? それとも、他に出したい写真がある?」
貴樹は、出すべきかどうか、まだどこかで迷っていた。俊介のことに触れずに、その理由をどう説明すべきか、上手く整理できない。
「あれは、たまたま撮れた写真で、オートで連写した中の一枚なんです。写真部に所属してはいますが、撮影も現像も全部自己流で……。何度も撮って、何度も紙に焼いて、漸く仕上げた一枚で……。僕に、コンテストに出す実力があるかどうか……」
「そこまで、惚れてるってことだろ、被写体に」
「ち、違います。僕、被写体のことなんて全然……。彼の他にもいろいろ撮ってるし、彼はただの幼馴染だし、特別な感情なんて全然ないし……」
殿村に図星を衝かれ、貴樹は必死で否定した。話しているうちに、それもまた自分の勘違いだと気づき、弁解の途中で後悔する。
「ほ、本当に、たまたま撮れた写真なんです……」
「何度も撮って、何度も焼いて仕上がった会心の一枚を、たまたまとは言わないよ」
殿村は、柔らかな笑みを浮かべた。
「前にさ、撮影者の感情が写真に現れるって言っただろ。あのハードルの写真を見た時に、僕は、貴樹くんの被写体に対する思いみたいなものを感じたんだよね」
それは、貴樹が最も危惧していることだった。
あの写真を見て俊介への思慕を汲み取ってしまう人がいるとしたら、俊介に迷惑をかけることになりかねない。
いや、違う。自分の気持ちを悟られてしまうのが怖いのだ。他の誰よりも俊介に。
やはりコンテストの件は断るべきだと結論を出そうとした時、殿村が言葉を継いだ。
「スポーツ写真って記録への挑戦とか、他者との競争とかテーマはそれぞれだけど、あの写真を見て、僕は、自己との闘いという言葉が思い浮かんだんだ。歯を食い縛り、何かを掴もうとして足掻いている姿っていうのかな。すごく息が詰まったよ。でも、それが単にもがき苦しんでるっていう感じじゃないんだな。何て言うか……、その先の希望とか、ゴールの先にある光、みたいなものを感じさせてくれるんだ。写真に写っているのは被写体一人で、背景はぼかしているからどんな状況で走っているのか解らないのに、『がんばれ、がんばれ』って、観客の声援が聞こえてくる気がしたんだよね。彼がゴールするのを応援したくなるような感覚っていうのかな。それは、撮影者である貴樹くんの気持ちが投影されているからじゃないのかな」
殿村が感じていた貴樹の思いとは、俊介への好意ではなく、陸上選手である彼へのエールだった。
「……本当ですか?」
「写真のことで嘘はつかないよ。僕は、あの写真をパネルサイズで見てみたいと思う。その幼馴染の彼も喜んでくれるんじゃないかな」
『うまく撮れてなかったら、俺、タカちゃんのために走るから』
そう言ってくれた俊介の顔が目に浮かぶ。
「もうすぐ、競技会があるんです。それを撮影したいんですが、それからでも良いですか?」
「もちろん。フィルムで撮るなら、ウチのスタジオで現像すれば良い。付き合うよ」
「ありがとうございます」
『これが最後の公式戦になるかもしれない』と、俊介は言った。だとすれば、自分の写真も撮り納めになる。
良い写真を撮ったら、俊介は、陸上を良い思い出として記憶してくれるだろうか。泣きながら古い写真なんか探したりせず、中学のリレー競技を輝かしいものとして、その中に貴樹の存在を留め続けていてくれるだろうか。
俊介との最後の思い出に、貴樹はコンテストへの出品を決意した。
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