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第22話 妄想
バイトの帰り、最寄り駅に降り立ち、高校の方角に歩き出す。
近くまで行って、グラウンドがやけに静かなことに気づき、部活が休みであることを思い出した。ついいつもの癖で似合いもしないスーツを来て帰ってきてしまったことにも気分が沈む。
家の方角へと引き返しながら、昨夜のことが思い返された。
貴樹と俊介が公園から戻ると、片倉家の前に旭が立っていた。
貴樹が家を出てきた時はジャージに素っぴんだったのに、スカートを履いて化粧までしている。
二人に気づいた旭は、貴樹と一定の距離をとって歩く俊介に駆け寄り、彼の手を両手で包んだ。
「遅いから、体冷えちゃったよ。ほら、こんなに冷たくなってるでしょ」
それまで外にいた俊介の手も同じくらい冷えているはずなのに、旭は事実を無視した口実を並べて、俊介の手を握り続けた。
「どうしたの、こんな時間に?」
旭の手を振りほどきもせずに、俊介は自分を待っていた旭の心配をした。
「明日、部活休みでしょ。ちょっと付き合って欲しい所があるんだ」
「いいけど、そんなの電話で済むだろ」
「このスカート、可愛くない? 下ろしたてなんだ。明日、これ着て行きたいんだけど、もしシュンちゃんに嫌だって言われたらどうしようかと思ってさ。だって、日曜日に二人で出かけたら、デートみたいじゃない? シュンちゃん、僕のこと恥ずかしいんじゃないかと思ってさ」
旭は上目遣いに俊介を見る。
それが作戦であることは明らかだった。
「恥ずかしくなんてないよ。アキラが着たい服着て来ればいいだろ。そうだ。折角だからタカちゃんもさあ……」
貴樹の名前が出た途端、旭はその言葉を遮った。
「タカちゃんは、特別な用があるんだって。ねッ、そうだよね、タカちゃん。だから、明日は、シュンちゃんと二人なんだよ。ねえ、タカちゃん、僕たち二人で出かけても良いよね。ねッ」
「俺に断ることないだろ」と、貴樹は言い放った。
家を出る時、「タカちゃん、明日は何してるの?」と、旭が珍しく貴樹のスケジュールに興味を持った訳が理解できた。それにしても、『バイト』だと答えたのに、『特別な用』と言い換えるあたり、あざといにも程がある。
俊介は、「そうか。残念だな」と言いつつも、まだ旭の手を振り解こうとしない。公園で感じた俊介の匂いと温もりが、旭の体に吸い取られていくようで見るのが辛い。
貴樹は、「じゃあな」と、二人を残して家に入った。夜気に、風呂上がりの体だけでなく心までも冷えていた。
その時の不快な気持ちまで思い出し、バイトでの達成感を無にされた気分で家路を辿ると、高校と反対方向から歩いてくる俊介と旭の姿が見えた。
「タカちゃんッ!」
俊介も貴樹を見つけて大きく手を振る。
早足で歩き出す俊介の腕を離すまいと、隣にいる旭が小走りになった。
「タカちゃん、そのスーツ……」
貴樹の一張羅のスーツに目を留めた俊介に、軽く息を切らした旭がすかさず割り込んでくる。
「そうだ。タカちゃん、今日は、特別な、お出かけだった、んだよね。そんなカッコして、実はデート、だったんじゃない、の? 僕たちも、今日は、すごく良いとこ、行ったんだよ。ねッ、シュンちゃん」
「あ、ああ、まあな……。って言っても、子供の頃に行った……」
「僕にとっては、大切な思い出の場所だよ」
貴樹から目を離さない俊介の両腕を強引に引き寄せ、旭は俊介の視線を自分に振り向かせる。漆黒の礼服姿でデートなどあるはずもないが、何としてでも貴樹への視線を遮りたいようだった。
「ねえ、もう行こうよ」
新堂家とは反対方向に俊介を引っ張っていく旭に、「まだ、何処か行くのか?」と貴樹が尋ねると、「送ってもらうんだよ、駅まで」と、頬を膨らませて旭は答えた。
どうやら、貴樹との同居を内緒にするという約束は、まだ守られているようだった。
「あっ、そっ。お疲れ」
どちらに言うともなく声をかけると、「じゃあ、またな」と俊介が片手を上げて笑いかける。
「またって、いつだよ。まともに会えやしないのに」
貴樹は、二人に背を向けてそっとぼやいた。
「僕、偉いでしょ」
一時間ほどして帰ってくるなり、旭が言う。
「タカちゃんとした約束、ちゃんと守ってるんだからね。あの後、どうしたと思う? 改札入って、ホームのベンチで時間つぶしてたの。ゲームしっぱなしだったから、スマホの充電、なくなりそうだよ」
要領の良い旭が、そんなところだけ律儀なのが解せないが、そこには触れない。
「ねえねえ、今日、どこ行ってきたと思う?」
「知らないよ。っていうか、興味ない」
「シュンちゃんが通ってた幼稚園と中学校に行ってぇ、それから、僕らが初めて出会った公園でピクニックしたんだぁ。日曜だったからかな。家族連れとかもいっぱいいて、隣にシートを広げた人とおかずの交換しちゃった。お天気良くて気持ち良かったから、つい、シュンちゃんの膝枕で昼寝しちゃったよぉ。起きたら、足が痺れたって、シュンちゃん、しばらく立てないの。悪いことしちゃったよね」
聞いてもいないことを、旭は嬉しそうに話した。
いい加減鬱陶しくなり、「大会前に振り回すなよ」と釘をさすが、「それにねえ……」と、旭は勿体つける。
「近くの公園にも行った。あの、滑り台と鉄棒のある公園。昔、よく鬼ごっこしたでしょ。あそこ、僕とシュンちゃんにとっては、ものすごーく思い出のある公園なんだ」
ソファから立ち上がろうとした体が固まった。
旭の言う『思い出』が気になった。
どうせ旭の策だろうと思っても、聞き流すことができない。
仮にあの時のキスが現実だったとして、あそこでキスをしたのは自分だけではなかったのだろうか。子供の頃の俊介は、我儘で身勝手な貴樹たちを泣き止ませるために、皆にキスしていたのではないか。もし妄想だとしたら、旭にキスをした俊介を目撃した記憶なのではないか。その姿が羨ましくて、自分に置き換えて記憶してしまったのではないか。
考え過ぎだと思ってみても、夢ともうつつとも判然としない俊介との繋がりを壊されてしまったショックは、思いの外大きかった。
「お前、フラれたらどうすんの?」
聞いても仕方ないと、一度は割り切ったはずの言葉が、腹の奥底から冷ややかにせり上がってくる。
「告白した後、皆がお前を見る目が変わってること、気づいてるだろ。二年のクラスじゃどう言われてんのか知らないけど、俺たちが卒業したらどうするつもり。いや、卒業じゃないな。俊介は、部活引退したら、受験勉強一筋になる。いくら俊介だって、いつまでもお前の傍で守ってくれるわけじゃない。周りに好奇の目で見られても、庇ってくれる人は誰もいなくなるんだぞ」
確信の欠片もないことを、貴樹は思いつくまま口にする。旭は黙って聞いていたが、勢いだけで話している貴樹を、フンッと鼻で笑った。
「フラれること前提にコクる人なんていないでしょ。タカちゃんは、そういうところが変わってないっていうんだよ」
何年も会っていなかった旭に、解った風な口をきかれ、貴樹はつい口走った。
「お前の方こそ、全然変わってないよ。どうせ痛い目みないと解らないんだろ」
いくら腹が立ったとはいえ言いすぎたと後悔したのは、自室に戻ってからだった。
旭がわざと仕掛けてきているのは頭で理解していたはずなのに、あの公園での記憶を踏みにじられた気がして平常心でいられなかった。
それに、告白された相手と平気で遊んでいる俊介の気持ちも理解できなかった。
俊介は、もう告白に答えたのだろうか。それとも、深い意味もなく、旭のお守りをしているだけなのか。
そんなことをうだうだと考え続ける自分自身にも腹が立つ。「フラれたらどうする」なんて、旭に聞くことではなく、俊介を諦めるための自問でしかない。
もしも旭が受け入れられたら、自分にも可能性があるかもしれないと、弁当作りの手伝いをしながら、密かに期待していたのだ。旭をモルモットにして、俊介の真意を引き出そうとしているのだから情けないとしか言いようがない。
貴樹の部屋のカーテンの隙間から、俊介の部屋に明かりが点いたのが見えた。
カーテンに隠れて、俊介の部屋を覗いてみる。
開け放たれた窓の向こうで、風呂上がりの俊介が、ガシガシと髪を拭いていた。
裸の上半身が、まだ赤く染まっている。
子供の頃の俊介は、熱めの風呂が好きだった。
貴樹が、「熱すぎて入れない」と言うと、自分は湯船から出て風呂を埋めてくれる。そして、「タカちゃん、ちゃんと潜らないとあったまらないよ」と、湯から出た肩に、赤く染まった手でお湯をかけてくれるのだ。
その手の赤さが、首から下の体の赤さが、そして、男の子の性徴を顕著に示すものの赤さが、貴樹よりも早熟して見えて、目を離すことができなかった。
その形を、貴樹は今も鮮明に思い出せる。
「俊介……」
自分だけに、特別なキスをして欲しい。宥めるためではなく、夢で見たような特別なキス。
唇だけじゃ物足りない。体のいろんなところに、俊介の唇を、舌を感じたい。
俊介の写真を胸に抱いて持続する疼きに快楽を感じるだけでは、もう満たされない気がした。
貴樹は、利き手をティシャツの下に滑り込ませた。鳩尾のあたりに触れただけなのに、体全体が敏感に反応する。
チノパンのベルトを外し、ボクサーパンツの中で勃ち上り始めたものに手を伸ばす。先端を少し擦っただけで、溜まったものが飛び出してきそうなほど、体の芯部が脈打っていた。
近くにあったタオルを口に咥え、声を潜める。軽く握るだけで、女々しい声が漏れ出そうだった。
風呂上がりの俊介の赤く成熟した体を妄想する。高校三年生の彼の股間は、今にも暴発しそうに怒張している。
「こんなの脱いじゃえよ」と言いながらティシャツに手を掛け、素肌の貴樹を背後から抱きしめる。天に突き立てたものを貴樹の背後の窪みにあてがい、利き手を下着の中に滑り込ませて前の突起に指を這わせる。
「恥ずかしい、よ……」と頭の中で口にする貴樹に、俊介は「好きだよ、タカちゃん……」と甘く囁いてくれる。
妄想の中でなら、俊介は貴樹だけのものだった。
自らの手を俊介の手だと脳に思い込ませ、括れを親指と中指で挟んで、人差し指で先端の切れ目の周りに円を描いた。タラタラと指を伝って流れ落ちる透明な液体が呼び水となって、貴樹の手のひらに収まっていたものが急激に膨張し、欲望の捌け口へと集まってくる。
「俊……介……ッ」
くぐもった声でその名を呼んだ瞬間、手の中に濃厚な体液が溢れた。
心の中の澱までも一緒に流れ出していったかのように、少しだけ心と体が軽くなった。
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