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第2話
吸い込まれそうに青い真夏の空が広がり、駅から三人で新幹線に乗る。長時間座りっぱなしでお尻が痛くなり、春陽が父にもたれて微睡んでいるうちに、ようやく目的の駅に着いた。
「春陽、起きたか? おいで」
父に促されて電車を降りる。人がほとんどいない小さな駅のホームに、熱風が押し寄せてきた。
(わぁ……田舎だけど、きれいなところ)
都会とは違う、周囲を山に囲まれた瀬戸内地方ののどかな景色は、どこまでも続く澄み渡った青空に山々の緑が映え、とても美しかった。
「春陽は俺とバスに乗って狐神(こじん)町へ向かう。明子は荷物を持って、先にホテルへ行っててくれ」
父は蝉の鳴き声を掻き消すように、大きな声でそう言った。
「ねえ、あなた。やっぱりあたしも一緒に行ったほうがいいと思うの。里帰りに嫁が顔を見せないなんて、お義父さんもお義母さんも、きっと不愉快に感じるはずよ」
母の明子は、もじもじと両手を動かしながら、縋るような目をしている。
「明子は来なくていい。俺の両親は、お前のことを嫌っているんだ。来ても嫌がるだけだよ」
(と、父さん、そんな言い方、ひどいよ)
両親の会話を聞きながら、春陽ははらはらと気を揉む。仲のよい両親だが、父方の実家の話になると、二人は時々喧嘩をするのだ。
母の明子は青ざめながらも、自分も父の実家へ行くと言い張る。しかし――。
「何度も言うが、両親は俺に知り合いの娘と結婚してもらいたかった。今でもその気持ちは変わっていない。だから明子は顔を見せないほうがいいんだよ」
「父さん……!」
春陽は思わず父の腕を引っ張り、母に聞こえないように囁く。
「いつの話か知らないけど、母さんがかわいそうだよ。なんとかしてあげられないの?」
「無理だよ。会わないのが一番いい」
「そんな……」
父は大きな手を春陽の頭に優しく置き、母のほうへ向き直った。
「明子はホテルでゆっくり待っていなさい。いいね?」
母はしゅんと肩を落とし、「……わかったわ」と項垂れた。
傷ついている母の気持ちを思うと、春陽の胸もチクチクと痛む。
(母さんも一緒に連れていってあげればいいのにな……)
祖父母が母と上手くいくように、もっと父が取りなしてくれれば、と思う。そもそも母の明子は優しくて料理上手だ。祖父母だってちゃんと母と話をすれば、顔を見たくないなどと言わなくなるはずだ。どうして父は簡単に諦めてしまうんだろう。
じりじりと夏の日差しが照りつける中、家族の間に気まずい沈黙が落ち、母は辛そうにうつむいたままだ。コホンと咳払いをして、一番に口を開いたのは父の正信だった。
「そう落ち込むな、明子。夕方までには戻ってくる。ホテルは温泉があるし、なんなら観光がてら駅前をぶらぶらしてきてもいいんだよ」
明子は深いため息をつき、小さく首を横に振って、紙袋を差し出した。
「お義父さんとお義母さんに、あたしと春陽が作った栗蒸しようかんを持っていってね」
「ああ、それじゃあ行ってくる。春陽、おいで」
春陽は父とバスに乗った。冷房が効いた車内に父と並んで座り、揺られながら、窓から小さくなる母を見つめる。バスが右折すると母の姿は消え、小一時間ほど経った頃、父が「次で降りるよ」と言った。
父と二人で降り立ったのは、周囲に田畑が広がった、のどかな田舎のバス停だった。そこからさらに細い農道へ入る。春陽は正信の隣を歩きながら、小さな声で尋ねた。
「ねえ、父さん。おばあちゃんたちと母さんを仲直りさせてあげて」
足を止めた正信が、肩を竦めた。
「春陽の気持ちもわかるが、なかなか難しいんだよ。嫌な思いをするより、会わないほうがいいと父さんは思っている。早く帰って母さんを安心させたいから、少し急ぐよ。長い時間、電車に乗っていたから、疲れてないか?」
「僕は大丈夫だけど……」
正信は歩みを速めた。春陽も遅れないように後をついていく。
「千葉のおばあちゃん家は、毎年、お正月に遊びに行くけど、狐神町は二回目だね」
母の実家がある千葉の家は、家族三人で頻繁に帰るのに、瀬戸内にある狐神町という父の実家は、春陽が小学校へ入った年に一度行っただけだ。
「僕が一年生の時に、父さんと二人で遊びに来たよね。その時もお母さんはいなかった。いつか母さんも一緒に行けるといいのにね」
「それは難しい。いつか春陽にもわかる日がくる。……あの雑木林の中を通るぞ」
「えっ、あ、待って」
高く伸びた竹林の中へ入っていく父の後を追う。ぎらぎらとした夏の日差しが届かない竹林の中は日陰になっていて、バス停からずっと歩いて疲れてきた春陽は、ひんやりとした空気にほっとした。
頭上を見上げると竹が生い茂り、緑色の竹の葉の間から降り注ぐ光の粒が、宝石のように煌めいている。幻想的な美しさに思わず息を呑み、母がいたらきっと喜んだだろうと考えた。
「すごくきれい。静かでひんやりして……」
独り言のように囁いているうちに、正信は竹林の中をどんどん歩いていってしまう。春陽は気づいてハッとした。
「あっ、父さん、待って」
父の歩みが速すぎて、九歳の春陽は追いつこうとして小走りになった。だが、地面から出ている根っこのようなものに足を取られ、ずさっと転倒してしまう。
「あいた……」
半袖のTシャツに半ズボン姿の春陽は、すりむいた膝を押さえた。じわじわと血が滲み、ズキンズキンと痛む。
「父さん、膝が……」
顔を上げた春陽は、前を歩いていた父の姿がいつの間にか消えていて驚いた。
「と、父さん……?」
膝の痛みを忘れて、あわてて駆け出す。
竹林の奥へ行くほど、木漏れ日が少なくなり、薄暗くなっていく。何か禍々しいものが迫ってくる気がして、胸がざわめいた。
「父さん、どこ? 待ってよ。ねえ、父さん!」
走りながら大きな声を出した春陽は、いつの間にか雑木林を抜けていた。
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