7 / 9
第7話
採用試験の前日、春陽は着替えやパジャマをデイパックに詰めて、新幹線と在来線を乗り継ぎ、都内から狐神町の祖父母宅へ向かった。
窓の外に広がる梅雨の晴れ間を見つめながら、腰が痛くなってきた頃、ようやく瀬戸内の町に電車が到着した。
デイパックを背負って電車を降り、深呼吸する。この駅に降り立ったのは十四年ぶりだ。
「小さな駅……そうだ、覚えている。母さんはホテルで待って、僕と父さんの二人でおじいちゃん家へ向かったんだ。なつかしい」
地図を確認しながら、あの時と同じようにバスに乗り、降りて歩いていくと、雑木林が見えてきた。その直後、禍々しい気配が春陽を包み込み、思わず足を止める。
(なんだか変な感じがする。気のせいかな)
身を引くようにして周囲を見回すが、竹林の中を眩い太陽の光が降り注いでいるだけだ。
ぐっと拳を握り、竹林を抜けると、のどかな田園風景と穏やかな街並みが広がっていた。
「ここが狐神町……そうだ。こんな町だった」
祖父母から送られた地図を見ながら田畑の横を通り、住宅街の中を抜けて、分かれ道を左折する。小一時間も歩くと、迷わず祖父母の家の前に着いてほっとした。
東雲の実家は閑静な住宅地の中にあった。和風の二階建ての住宅を見ると、九歳の時に父と一緒に訪れた記憶がよみがえり、なつかしさと緊張で鼓動が速まっていく。
呼び鈴を押すと、祖母が玄関ドアを開けてくれた。春陽は背負っていたデイパックを胸に抱え、勢いよくお辞儀をする。
「お久しぶりです。おばあちゃん」
「まあ春陽ちゃん、大きくなって……! どうぞ入って。遠くからひとりで来て、疲れたでしょう」
丸い顔をほころばせ、祖母は目を潤ませた。
応接間を兼ねている和室へ通されると、座卓で新聞を読んでいた祖父が顔を上げて、目を細めた。
「おぉ……、春陽、よく来た。すっかり大きくなったのぅ」
「おじいちゃん、こんにちは……! 元気そうでよかった」
父によく似た雰囲気の祖父は、読んでいた新聞を畳んで座卓の上に置くと、隣に座るよう春陽に手招きした。祖母が急須と湯呑を三個載せたお盆を手に入ってくると、和やかな空気に包まれた。
「おばあちゃん、お茶をありがとうございます」
「まあまあ、そんなに緊張しないでね。自分の家だと思ってくつろいで」
熱いお茶を飲むと気持ちが落ち着き、春陽はデイパックの中から、母が持たせたお土産を取り出した。母の手作りの水無月という、三角の外郎の上に小豆をたっぷり載せて固めた和菓子だ。
「あの、これ母からです。僕も少し手伝いました」
おずおずと差し出しながら、母のことが嫌いな祖父母が嫌な顔をするかと不安になったが、杞憂だった。
祖母は微笑んで和菓子を受け取り、蓋を開けると、祖父が覗き込む。
「ほう、水無月か。邪気を夏越の祓いで取り除くといわれている縁起物だのぅ。あとで春陽も一緒に食べようなぁ」
「明子さんはお料理上手ね。あたしたちが好きな和菓子を手作りして、よく送ってくれるのよ」
祖父母は母のことを嫌いなのだと、小さな頃から聞かされていたが、春陽に気を遣っているのか、そんな素振りは見えない。春陽は内心、混乱していた。
荷物を置き、祖父母と三人でお茶を飲んで休憩したあと、春陽は両手を膝に置いて思い切って祖父母へ切り出した。
「おじいちゃん、おばあちゃん。母は一度もこの東雲の家に来たことがなくて……寂しそうにしています。今度、母もここへ呼んでもらえませんか? きっと母はすごく喜ぶと……」
祖父母の表情が消えるのを目の当たりにして、春陽の語尾が小さくなって途切れた。
(しまった。やはり言ってはいけないことなの……?)
動揺して目を泳がせる春陽に、祖父が探るように尋ねた。
「正信から、我々についての話を聞いているんだろう?」
「あ、はい」
――祖父母は、知り合いの娘と結婚してほしいと、昔からずっと思っていたという父の言葉を思い出し、春陽は喘ぐように息をついた。
「おじいちゃん、おばあちゃんの気持ちもわかります。でも、あの……」
「明子さんの気持ちを考えると、我々も辛いんだ。しかし、ここへ来てもらうことはできない」
「そんな……」
母と仲よくしてほしいと祖父母に頼もうと思っていた春陽だが、今は何を言っても伝わらないような気がした。気まずい空気を払拭するように、深呼吸して話題を変える。
「おじいちゃん、おばちゃん、採用試験のことを教えてくれてありがとう。僕、合格できるように頑張ります」
「ちょうどいいタイミングで、狐神学園で事務職員を募集していてのぅ……本当によかった。春陽なら大丈夫だと思うぞ。試験は明日――悔いのないようにのぅ」
「はい! 僕、これからその狐神学園を見に行ってきてもいいですか? 初めての場所なので、どのくらい時間がかかるか、行く道順も調べておきたいんです」
採用試験に遅刻するわけにいかない。初めての場所なので、下見に行っておきたかった。
「そうね。ここは狐神町の外れで、学園まで距離があるのよ。バスの路線からもはずれているから、自転車で行く? 庭にあるはずだから」
「はい、貸してください。それから学校の場所は……」
「狐神学園は北上していくと見えてくるわ。上り坂の上にあるからわかりやすいと思うの。町中の様子を見てくるつもりで、ゆっくり行ってきたらいいわよ。夕食までには帰ってきてね」
まだ昼前で時間はたっぷりある。春陽は頷き、「ありがとう、僕、ちょっと行ってきます」と断ると、祖父が時々使っているというママチャリを借りた。
玄関で見送っている祖父母に手を振り、力強くペダルを漕ぎ出す。町の大通りは、北へ行くほどなだらかな上り斜面になっていて、その天辺に町全体を見下ろすように、大きな建物が見えた。
「あそこが学校か……!」
出発の時間をスマートフォンで確認し、軽快に自転車を漕ぐ。民家や田畑を通り抜け、ぬるい風が春陽のやわらかな髪を撫でるように吹きつけていく。
(いい町だなぁ)
ふいに春陽は、十四年前にあぜ道を歩いて、祖父母の家まで送ってくれた美少年のことを思い出した。驚くほどきれいな顔をしていたと記憶しているが、もうどんな顔だったか、名前さえ覚えていない。それでも彼と交わした言葉はずっと、春陽の胸の中に残っている。
(採用試験に合格して、この町で暮らすようになったら、あの人に会えるかな。十四年も経っているから、僕のことを忘れているだろうけど……)
背中を叩き合った美少年のことを思い出すと、不思議と胸の奥にあたたかな気持ちが込み上げてくる。長い坂の途中で自転車を降り、押して上がる。息が切れ、角を曲がると、高い石垣が見えた。
「ふぅ……ようやく着いた」
春陽は自転車を石垣のそばに停め、スマートフォンでかかった時間を確認する。
「自転車で四十分か。明日は正午過ぎに出発しよう。それにしても、狐神学園の正面玄関はどこだろう」
敷地自体も恐ろしく広く、どこから入るのかわからず、石垣をぐるぐると回っているうちに、小さな出入り口を見つけた。裏門だろうか。
ともだちにシェアしよう!

