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第5話

「やっぱり、ネックレスとかが無難なのかなぁ」 男二人で、女性向けのアクセサリーショップの前で考え込む。 博ちゃんと大宮さんが付き合ってからしばらく経つ。 明日は記念日だそうで、プレゼントを選ぶのに付き合ってくれないかと博ちゃんに頼まれた。「これにしようかな。派手すぎないし」 そう言って、博ちゃんはシンプルな星のチャームが付いたネックレスを選んだ。 角の丸い箱に店員さんが丁寧に包装を施して、真っ赤なリボンを結ぶ。 俺はその時、大宮さんが羨ましい、と一瞬思ってしまった。 こんな風に、博ちゃんに真剣に贈り物を選んでもらえるのが羨ましいと考えてしまった。慌てて自分の頭の中に浮かんだ考えを振り払う。 大宮さんは博ちゃんの彼女なんだから、ここまでしてもらえるのは当然だ。なのに、何をそんなに羨ましがっているんだろう。 最近、俺はおかしい。博ちゃんは、大宮さんといる時間が増えた。帰り道や昼食時、時々俺は一人になる。博ちゃんはそのたびにごめんね、と言ってくれる。 二人が視界に入るのが何となく嫌で、遠く離れた所で食事をする。いつもだったら俺の目の前にいる博ちゃんが、遠い席にいる。 それが凄く寂しいと思ってしまった。 だから、博ちゃんと一緒にいられる時間があると、とても嬉しくなってしまう。俺は、大宮さんに嫉妬しているんだろうか、と思った。 俺は博ちゃんの恋人でも家族でも何でもないのに、なぜか博ちゃんが大宮さんと仲良くしているのを見るのが辛い。 なんとも醜い感情を抱いている自分が情けなくて、本当にみっともないと思った。 「薫ちゃん、前に俺がここに大きな本屋さんが入ったって言ったの覚えてる?色々あって行けなかったし、行ってみよう」博ちゃんの声で我に返り、「うん」と返事をして後をついて行く。 本屋は思っていたよりも大きく、海外から輸入された本も多く並んでいる。参考書、漫画、小説、地図、辞書、とにかく様々なジャンルの本がある。 一日中ここにいられるような気がした。 「薫ちゃんって、どんな本読むの?」「暗い話を読むのが好きかな。人間模様とかが描かれてるのが好きなんだ」小説のコーナーで、目当ての本を探した。 「あ、あった」本棚の上の方に、欲しい本を見つけた。手を伸ばしてもぎりぎり届かない。「どの本?」博ちゃんが後ろから声をかけてきた。 「あ、あの赤い背表紙の…」と言うと、「これ?」と博ちゃんが背伸びをして本を取ってくれた。その時、博ちゃんの息が俺のうなじを撫でるように這っていった。 思わずびくり、と肩をすくめてしまう。でもそれは決して嫌悪感などではなかった。 「はい」「あ、ありがとう」うなじに感じた感触を肌にすり込むように撫でてしまう。隣で、博ちゃんが本をぱらぱらとめくる。その様子をちらりと見た。 さらさらした黒髪は重力に逆らうことなく垂れている。ちょっとした風にも揺れる髪が、博ちゃんの頬を撫でるように動く。伏せた睫毛は均等に生えそろい、高い鼻が顔に影を落とす。博ちゃんの指が、髪の毛を耳にかけるように動いた。 綺麗に切り揃えられたうなじから続く首筋は、肌荒れ一つ無い。その先に続く背中も、綺麗なんだろうなと思った。 俺は、博ちゃんの鼻筋を指でたどる様を想像した。滑らかな曲線をするするとたどった先にあるふっくらした唇。薄く開いた唇に指をそっと差し込んだら、きっとあたたかく濡れている。 歯を立てられたとしても、指を抜くことが出来ないと思った。 なんとも言えない感情を払うように、俺も手元の本をめくった。 適当に開いたページは偶然にも濡れ場で、まるで自分の頭の中を小説に見透かされているようで恥ずかしかった。 その時、博ちゃんも、大宮さんとこういう事をするのかな、と思ってしまった。なんて下世話な事を考えているんだと、はしたない自分が嫌になる。 でも一度考えてしまうとなかなか頭の中から離れてくれない。 もう一度隣にいる博ちゃんを見る。博ちゃんの手が、ページをめくる。俺の節くれだったいかつい手と違って、博ちゃんの手は、どこか女性らしい繊細な手をしている。 その手でピアノを弾いたら、きっと凄く画になるんだろうな。 形のいい楕円形の爪、長くすらりとした指。その手で、大宮さんに触れているんだろうか。博ちゃんが、指先で頬を軽く掻いている。俺は、その手で触ってほしい、と思っているんだろうか。 「どんな風に?」 博ちゃんが言った言葉が俺の頭の中の考えと重なって、音がしそうな程に心臓が跳ねた。「え、な、なに?」「ん?あぁ、いや、小説読んでたら思わず声に出ちゃった。ごめんごめん」「あ、あぁ…そう…なんだ」 博ちゃんは笑ってそう言った。どうして、博ちゃんに対してそんなことを思うんだろう。大宮さんよりも、俺に構ってなんて勝手な事を考えてしまうんだろう。その時、あることわざを思い出した。 豌豆は日陰でもはじける。年頃になれば誰でも性に目覚め色気づくこと。今まで性的なことに無関心だった俺の心の中に、そういう気持ちが芽生え始めているんだろうか。 博ちゃんに対して? 自分で自分に聞いてみても、分からない。 「あれ、薫ちゃん、ほっぺに睫毛ついてるよ」どこに、と返事をする前に、博ちゃんの長い指が俺の頬についていた睫毛をそっと摘まんだ。爪先の感触がほんのわずか肌に伝わって来ただけなのに、どきり、としてしまう。「薫ちゃん、睫毛長いね」そう言って、博ちゃんは指の腹に乗った俺の睫毛をふぅ、と吹き飛ばした。 「そ、そんなことないよ…」開いたページに手汗が滲んでしまいそうな程、手のひらが湿っている。 自分の顔がどんなに赤いか、嫌でも分かる。 博ちゃんが取ってくれた本を買い本屋を出た後、喫茶店に行こうと誘われた。ちょうど空いてる時間帯で、俺たちは一番奥の窓側の席に座った。 乱れた心が落ち着かなくて、何度もお冷に口をつけてしまう。 「俺にご馳走させて。俺が無理言ってついてきてもらったんだし」「え、でも、悪いよ…」「いいからいいから。普段から薫ちゃんにはお世話になってるしさ」「じ、じゃあ、お言葉に甘えて…」 ケーキとコーヒーが運ばれてきたときに博ちゃんがそう言った。 俺のはオペラで、博ちゃんのはガトーショコラ。二人してコーヒーと同じような色のケーキを頼んだ。面と向かうと、横顔を見ていた時よりも胸が震えてしまう。 綺麗な二重と睫毛。きちんと整えられた眉。心の中で、何と表現したらよいのか分からない感情がぐるぐる動き回る。 博ちゃんを見ているのが、苦しい、と思った。俺が上げた右手が、お冷が入ったグラスに当たって、水がこぼれそうになる。 「あ、危ない」 博ちゃんがグラスに手を伸ばす。咄嗟に出した俺の手と博ちゃんの手が重なってしまった。こぼれた冷たい水が、指の間に入り込む。 はっと息を呑んだ。 その時俺は、こぼれた水が接着剤のように固まったら、と思った。 昔は何度もこの手を取った。でもそれとは違う。昔とは違う感情が手の平からにじみ出ているような感覚。綺麗な手。長い指。この手で、あの人と手をつないでいるんだ。 「薫ちゃん、大丈夫?」博ちゃんがグラスから手を離して、心配そうに言う。「え、ああ、うん、大丈夫…」 濡れた指先を雫が繋いでいる。手が完全に離れ、行き場を失った雫はテーブルの上にぽたぽた垂れ落ちる。まるで涙の様だった。 店員さんがおしぼりを持って心配そうに話しかけてくれるけど、一切耳に入って来ない。 細長いフォークを持ってケーキを見つめた。艶やかに光るチョコレートの上できらきらと金箔が踊る。 俺の手の熱が、フォークからオペラの表面のグラサージュに伝わって溶けてしまうんじゃないかと思った。 一緒にいたいけど、一緒にいると苦しい、という何とも我儘な気持ちをどう処理したらいいのか、全然分からない。自分でも触れたことのない胸の奥が、何かの力で優しくぎゅう、と締め付けられる。ふとした拍子に口からこぼれてしまいそうな感情を、苦いコーヒーで強引に押し込んだ。

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