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序章1-2
「ご苦労だった」
言葉が話せないのではないかと見えるほど無言を貫いていた支配人が、ようやく口を開いた。
支配人の前にやって来たのは、先ほどの二人を犯していた男達だ。それぞれ大柄でいかにも真面目そうな青年と、小柄で不真面目そうな青年。見かけは正反対だが、支配人に口頭で労われると、両者とも子供のように嬉々とした笑みを浮かべた。
あれは今回の彼らの仕事、いや趣味とも言えようか──会員の目を楽しませるため、己の肉欲を満たすための、何てことのない、公開レイプだ。二人は支配人、それからオーナーに深々と頭を下げ、その場を後にした。
「黒瀧 のお坊っちゃま達も相変わらず楽しんでくれているようじゃなぁ。若いのう。ヒヒッ」
オーナーは去って行く二人の背を見つめ、にんまりと黄ばんだ歯を露わにして笑った。
黒瀧とは関東最大の広域指定暴力団で、クラブとも深い関係にある巨大組織である。彼らはそれぞれ組を総括する現六代目の孫に、直系団体組長の子と生まれながらの極道者であり、組織内でも幼少時からちやほやされ続けた結果、若くしてこの火遊びを知った。そして今では心身共に依存している。
彼らにとってあれは日々をより豊かに過ごすための、ただの娯楽だ。だからこそ度が過ぎることも平気でするが、当人達もクラブ側もその方が都合が良いため、ああして責め苦の人員としても入り浸っている。
そろそろ今宵の宴も終わりが近付いている。
支配人は、まだ大勢の人間が凌辱されている広間に目を向ける。そこには、先ほどの凌辱が終わっても尚うずくまって泣いている正樹がいた。
支配人が、ゆっくりと瞬きをする。そうして、僅かにその鋭い双眸を細め、精神を集中させた。
(……ぅ……してっ)
────聞こえた。
(どうしてっ……こんなことになってしまったんだ……? 俺達が何か悪いことをしたか……? ああ、誰か教えてくれ……助けて、くれ…………)
正樹は激しく嗚咽していて、一言も言葉を発せていない。だが、支配人にははっきりとそう聞こえていた。
それは、彼が凌辱中も叫び続けていた想い。心の声。
何故なら支配人もまた、この地下世界と同様、“ありえない”者だからだ。
医学者を表の生業とするオーナーが、その長い人生の中で強い衝撃を受けたほどの非科学的な人間。いや、人間と呼ぶにはあまりにもかけ離れている──化け物そのもの。
宴の後、支配人は仕事の相談があるというオーナーに連れられて、スタッフだけが立ち入ることのできる会議室へ足を踏み入れた。
そこには、一人の青年が待っていた。執事のような品さえ感じさせるその男は恭しく一礼すると、生まれつきの実に人の良さそうに見える目をオーナーと支配人に向けた。
彼は名を、鷲尾怜仁 といって、オーナーが我が子のように目を掛けているクラブスタッフである。
黒瀧組の二人のように、彼も歳はまだ二十三と若いながら、もうずいぶんと長くクラブに関わっているベテランだ。もちろん、オーナーを介して支配人とも幾つかのビジネスを共にこなしている、優秀な部下でもある。
「オーナー、例のカップルは研究室に拘束しておりますよ」
「そうか。ならば早く話を終わらせんとな。ああ、楽しみじゃのう」
「……あなたのご趣味を否定はしませんが、いい加減、日常生活に差し支えないようにして頂きたいものですね」
冗談めかして笑うオーナーと、それに毒づく鷲尾。それだけ聞けば、楽天的な父親と反抗期の息子──いや祖父と孫のようで、どこか愛らしささえ漂っている。だが、その趣味とやらが問題だった。
オーナーは、研究と称して、生きた人間への人体実験や、遺体の解剖と言ったものを好んでいる。
先のような公開凌辱などで使い物にならなくなった人間を切り刻み、時にはクラブで飼っている動物の餌や植物の肥料にしたり、かろうじて生きてはいるが、舌や眼球を抜かれ、四肢切断され、もはや人間の形をしていないものを鑑賞したりすることも日常茶飯事だ。
それらは宴のバリエーションを増やす為でもあったが、オーナーにとって何よりも魅力を感じる、老後の楽しみだった。
表の仕事では到底できない非合法な研究をできるとあって、支配人が加入したことで暇が増えてからというもの、オーナーは更にその趣味へ時間を費やすようになっていった。
「まあ、良いではないか。儂にはもうすぐ、研究だけに没頭できる素晴らしい老後が待っているんじゃ」
「今さら、老後……ね。……はいはい、そうですね。俺も、それが現実になるよう祈っていますよ。支配人もあまりこの調子乗りジジイを甘やかさないでくださいね」
口調の砕けた鷲尾が、呆れ顔で支配人に笑いかける。支配人がそれに答えることはなかった。
高齢であるオーナーは、次の仕事が終わり次第、隠居を考えていた。
彼が長い激動の人生を重ねてきたことは、真っ白に染まった髪、数多くのシミやシワ、血管の浮き出た手などを見れば一目瞭然である。その反動は今になって、残りの余生を静かに過ごしたいという、新鮮な楽しみよりも安定を求める思考に変わっていった。
今はまだ元気なように見えても、いつ倒れてもおかしくはない。この歳で現役であることが不思議なくらいなのだから。
支配人は鷲尾に促され、適当な椅子へ腰を下ろした。オーナーも向かい合わせに座ると、肩の力を抜いて話し始める。鷲尾はオーナーのその痩せ細った肩をマッサージしながら、立ったまま話を聞くことにしたようだ。
「西條清彦という人物から、殺しの依頼が入っている。相手は、明皇 学園の高等科で学園長を務めている杉下泰造という男じゃ。お前さんも知っているじゃろう?」
明皇学園。都心に位置し、幼稚園から大学・大学院までの一貫教育を行っている私立校で、その名は世間からも広く認知されている。
創立当初から良家の子息子女などが通い、社会的影響力の強い人間を多数輩出している、格式ある学園だ。一見華やかで誰もが憧れる学び舎だが、時を重ねる中で、内部の人間は腐ってきているのだろう。
「殺しに関しては、実に簡単な依頼じゃ。全てこちらで処理しておこう。そう、ここからがお前さんへの頼みなのじゃ……が……むぅ、怜仁、やはりお前のマッサージは上手いのう。眠くなってしまうわい」
鷲尾のほどよい指圧にほっと息を吐き出すオーナー。巡りの悪くなった血行を良くするようにほぐしながら、鷲尾が続ける。
「あなたに杉下に代わる学園長として高等科に潜入し、次回の宴に使える性奴隷の確保と指導をしてほしい、と、オーナーは申したいようです」
「ふん、核心を持っていきおって。……最近は女ばかりだったせいか、性別は男に限定してほしいとのことじゃ。それから、開発の過程も公開するようにというリクエストが多数寄せられていてな。儂個人としても、引退前にまた派手な饗宴を見てみたくなっていたところじゃ。実に良い機会だと思ったのじゃよ」
支配人は、オーナーの頼みを黙って聞いていた。相槌を打つことも、表情を浮かべることもなく、ただ時折瞬きをするのみで、支配人の思考は誰にも計り知れない。
「それで……どうかね? やってくれる気は、あるかのう?」
「先に答えを出そう。イエスだ」
支配人の答えに、オーナーは小さく安堵のため息を漏らした。確信はあったが、不安を完全に払拭することはできなかったのだ。支配人が何を考えているか読めない以上、時として想像の範疇を越える可能性もあったからだ。
「詳細は実際に学園を見てから決める。大掛かりになるならば、それなりの準備も必要だろう」
「そうか。恩に着るぞ。……そうと決まれば、お前さんの名前を決めなくてはいかんな」
支配人に固有の名前はない。故に彼は仕事毎に偽名を使い、その人物があたかも実在するよう、一人の人間の人生を作り上げる必要があった。
支配人は少し俯いて考えるそぶりを見せ、やがてゆっくりと顔を上げると、オーナーと鷲尾に向かって明皇学園高等科学園長としての名前を告げた。
「神嶽修介 」
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