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序章2-2
「あっ、如月会長! さようならー!」
神嶽と共に廊下を歩く司を見つけた男子生徒が、声を上げて走り去って行く。司は条件反射で走るなと注意したが、男子生徒はよほど急いでいるのか、全く聞く気がないようだった。
司は呆れ顔でため息をつく。それを神嶽に苦笑されると、少し恥ずかしそうにしながら咳払いをした。
「……すみません、お見苦しいところを……」
「いや、元気があって良いじゃないか。それにしても、君は生徒会長なのか。どうりで頼もしいはずだ」
「ありがとうございます。この学園の生徒代表として、一人の人間として、皆にそう思ってもらえるよう努力してきたつもりですので」
誰しも褒められれば悪い気はしない。司は自慢気に微笑む。外見だけで言えば成人にも見えそうな司だが、その笑みは歳相応だった。
「ところで君は、学園の内部情報にもずいぶんと詳しいんだね」
「ええ、まあ。如月家は毎年学園に多額の寄付をしていますし、父は理事長と長年の友人ですから、そういったことも必然的に耳に入ってくるんです。……確か学園長先生も、理事長とは親交の深い方だと伺いましたが」
それは神嶽が学園へ潜入するにあたっての設定であった。
先の司の態度でもわかる通り、ただでさえ外部から来る者が少ない学園だ。関係者に怪しまれるような人物像をイメージさせることは極力避けねばならない。
勘の良い誰かが調べようと、いくらでも偽装はできるのだが。
「ああ、学生時代からずっとお世話になっていてね。それにしても、学園に来て初めて出会った人が理事長のご友人のご子息とは、なんて偶然だろう。これもなにかの縁なのかもしれないね」
「ええ……そうですね」
神嶽の話に耳を傾ける司の表情は、とても穏やかだ。しかし、その視線は少しずれていて、気持ちがこもっていないようにも見える。
(はぁ……杉下学園長もそうだったが、私が如月家の人間だとわかった途端に根掘り葉掘りと……こいつも所詮は低俗の成り上がりか……? 杉下学園長も外面は良い人だったから、こいつも同じタイプの人間なのだとしたら、少し面倒だな……。あまり関わり合いにはなりたくないものだ)
司は心の中で、前学園長の杉下と神嶽を比較していた。どうやら神嶽が、杉下と同じく媚びへつらっているのだと思ったようだ。
だがそれも、司が家のことを誇っているが故なのだろう。特別な環境に生まれようが、たいしてプライドのない者ではこうは思わず素直に受け止めるかもしれない。
初めは客人に失礼があってはならないと神嶽の話に付き合っていた司だったが、だんだんと上辺だけの返事になっていった。聞かれたことにはきちんと答えるが、だからといって自分のことばかりにはならないようにしている。
なんてことのなさそうな日常会話でさえ、司は常に思考を張り巡らせていた。
そこまで気を張っていては疲れるだろうに。それでもやめられないのは、今までにもそうやって司に取り入ろうとしてきた人物が大勢いたということだ。
そして、司が如月家という重圧を一人で背負っていることを伺わせる態度だった。
司との話が途切れたその時、ちょうど廊下の曲がり角から、髪を明るく染め緩いパーマをかけた、司とは対象的な派手めの男子生徒が現れた。彼は司を見るなり顔を引きつらせ、
「うげぇっ、司」
と、嫌そうな声を絞り出した。どうやら彼の天敵は司のようだ。だがすぐに隣にいた神嶽に気付き、崩したブレザーを正しながら小さく会釈をした。
「……ええと、そちらの方は?」
「理事長のお客様だそうだ」
神嶽を覗き込んだ男子生徒に、司は表情こそ崩さないものの、一歩下がって面倒くさそうに言う。
「えっ? 親父に?」
「では、君は西條理事長の」
「あ、はい。オレ、息子の隼人 です」
隼人と名乗った彼は軽い口調で言うと、白い歯を見せ、にかっと笑う。
自尊心の高さはあまり感じさせない、素朴な表情であった。
富のある者は天狗になり傲慢な部分が目立つか、心の余裕から器の大きい人間に見えることがあるが、隼人は後者なのだろう。
生徒会長に、理事長の息子。学園屈指の御曹司である二人が対面ときた。
学園に来て早々、随分と恵まれた人材に出会ったものだ。この光景をオーナーが見れば、神嶽の強運を褒めちぎるところだろう。
(まさかこいつと出くわすなんて、ああ、今日はなんて不快な日だ……学園長と無駄な話をしていないで、さっさと案内して帰っていればこんなことには……)
神嶽への不信感とも違う、心底うんざりとした司の心の声がだだ漏れてくる。
司もまた、それだけこの隼人が苦手なのだろう。見た目はつんと澄ましているだけあって、司もなかなかの演技者だ。
「……すみません、学園長先生。この後、用事があったのを思い出しました。理事長室はもうすぐそこですし、後は彼が知っていますので」
「ああ。わざわざ案内ありがとうね」
神嶽を隼人に押し付け、くるりと踵を返した司は、早足で来た道を戻っていく。
隼人はその背をひと睨みすると、フンッと鼻を鳴らして悪態をついた。
「……あ、えっと、すいません。オレ、正直言ってあいつのこと苦手で……ほら、犬猿の仲っていうんですかね」
「そうなのか。まあ、誰しも合わない人間はいるからね。君はそれがたまたま彼だったというだけだろう」
「ですよねぇ!? へへ。オレ、あなたとは仲良くなれそうですよ」
(うわ、この人、話わかるなー。ったく、司は石頭すぎんだよ、ちょっとはこういう柔軟な思考を持てっつーの)
司とは違い、隼人は同調してくれる神嶽に好印象のようだ。
「っていうか……新しい学園長先生って……あなたでしたか! うわぁ、親父から話は聞いてましたけど、急なことで理事会もごたごたしてたみたいなんで、ホント助かりますよー」
話のわかる新学園長に出会えた隼人は、何の疑問もなく目の前の神嶽に無垢な瞳を輝かせている。
「ゴ、ゴホン。ようこそ、明皇学園高等科へ! 学園のことで困ったことがあったら、何でも言ってくださいね! って……それはちょっと言い過ぎっすかね……?」
「はは。ありがとう。その時は是非、頼らせてもらうよ」
神嶽が笑いかければ、隼人もつられてはにかむ。理事長の息子という点を除けば、庶民と何ら変わらない、少し背伸びをしたい年頃の男子のそれだった。
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